
今回はジルベール・ベコーGilbert Bécaud「また逢おうAu revoir」です。1963年に、モーリス・ヴィダランMaurice Vidalinが作詞、ベコー自身が作曲しました。夏のあいだ生活を共にした仲間が、夏が終ると別れることになる。そんな状況でしょうか。歌詞はadieuから始まり、au revoirという言葉はあとに出てきます。その文脈から邦題を「また逢おう」としました。
東京ではいつしか蝉時雨が終わり、虫の音が次第に高まってきました。台風に気をとられているうちに季節は変わっていきます。
もう秋か! そういえば、L'automne deja ! で始まるランボーの詩のタイトルはAdieuでしたね、Au revoirではなく。
Au revoir また逢おう
Gilbert Bécaud ジルベール・ベコー
Adieu l’ami
Faut se quitter
Car tout s’arrête
Avec l’été
L’AMI
Les feuilles sont tombées
Sur les routes gelées
L’AMI
Quand on courait
Sur les chemins
Pavés de fête 注1
Mouillés de vin
L’AMI
Nos chansons nous disaient
Que cela durerait la vie
L’AMI
さらば友よ
別れねばならない
夏とともに
すべてが終わるから
友よ
木の葉は落ちた
凍った道の上に
友よ
喜びに満ち
葡萄酒で潤った
道の上を
僕たちが走っていた時
友よ
僕たちの歌は語っていた
人生は続くと
友よ

{Refrain:}
Au revoir, au revoir
Qui sait jamais
Tout peut recommencer
Au revoir, au revoir
Il faut croire en l’été
L’AMI
また逢おう、また逢おう
分からないものさ
すべては再び始まり得る
また逢おう、また逢おう
夏を信じるんだ
友よ
L’harmonica chante sans nous
Il chante encore
Nos quat’cents coups 注2
L’AMI
Si un jour il se tait
C’est qu’on aura changé
L’AMI
ハーモニカは僕たちがいなくても
なおも歌う
僕たちの「四百発の歌」を
友よ
もしもいつかハーモニカが黙ったら
それは僕たちが変わってしまったということだ
友よ

{au Refrain}
[注]
1 pavéは「舗装された」が本義だが、de fêteとあるので、「…に満ちている、覆い尽くされた」の意味ととらえ、fêteは「祭り」自体よりも、「(祭りのような)陽気さ、喜び」ととらえた。
2 quat’cents coupsは「四百発」と直訳されるが、faire les quatre cents coupsという成句は「(子供などが)素行が悪い、放縦な生活をする」といった意味。ここで歌うというのはLéo Ferréの曲名Les quat'cents coups(1961年)だと思われる。ちなみに、フランソワ・トリュフォーFrançois Truffaut監督の1959年の映画「大人は判ってくれない」の原題もLes quatre cents coups」。
Comment:1
コメント
べコーのこの曲を初めて知ったのは黒崎昭二さんがお出しになったCD「シャンソンと私」でした。フランス芸術文化勲章
シュバリエを受賞された記念のCDです。FM秋田で長年にわたるシャンソンの番組を放送してらっしゃいました。
私はこのCDでマルク・オジュレ(marc・ogeret)を知り、素晴らしい歌手と驚きました。
今日はベコーのオルヴォワールで、懐かしくなりました。
シャンソンに関わった素敵な方は本当に沢山いらっしゃいますね^^
シュバリエを受賞された記念のCDです。FM秋田で長年にわたるシャンソンの番組を放送してらっしゃいました。
私はこのCDでマルク・オジュレ(marc・ogeret)を知り、素晴らしい歌手と驚きました。
今日はベコーのオルヴォワールで、懐かしくなりました。
シャンソンに関わった素敵な方は本当に沢山いらっしゃいますね^^
mimiha
2016.09.07 13:54 | 編集
