
「ブラン・マントー通りRue des Blancs-Manteaux」は、1943年に、実存主義哲学者のジャンポール・サルトルJean-Paul Sartreが自分の戯曲「出口なしHuis clos」のために作詞した曲で、作曲はジョゼフ・コズマJoseph Kosma。1950年にサルトルはジュリエット・グレコJuliette Grécoに新人歌手へのプレゼントとしてこの曲を贈り、同年グレコの歌は78回転盤に収録されました。原題はDans la rue des Blancs-Manteaux(ブラン・マントー通りで)ともされます。
ブラン・マントー通りla rue des Blancs-Manteauxは、パリのセーヌ右岸の第4区のマレー地区に実在する通りで、その名は「白いマントを着た人たちの通り」といった意味で、13世紀に聖母マリアを信奉する乞食僧(こつじきそう)たちが、マリアの処女性を表すために白いマントを身に着けていたことから、マレー地区の修道院がLe monastère des Blancs-Manteaux と呼ばれ、その名が通りの名として残りました。

「出口なしHuis clos」は死後の世界が舞台で、地獄で初めて出会った人たちが会話するという戯曲。この曲は、フランス革命時の貴族たちの処刑を表現した歌詞で、戯曲の内容と関連しているようです。
ジャン=フランソワ・パロJean-François Parotの推理小説「ブラン・マントー通りの謎L'Énigme des Blancs-Manteaux」(2000年)は18世紀のパリが舞台で、処刑方法の描写もあるらしく、この曲と関連があるかもしれませんが未確認です。
Rue des Blancs-Manteaux ブラン・マントー通り
Juliette Gréco ジュリエット・グレコ
Dans la rue des Blancs-Manteaux
Ils ont élevé des tréteaux
Et mis du son dans un seau
Et c'était un échafaud
Dans la rue des Blancs-Manteaux
ブラン・マントー通りに
彼らは台を設置し
桶におがくずを詰め込んだ
それは死刑台だった
ブラン・マントー通りで

Dans la rue des Blancs-Manteaux
Le bourreau s'est levé tôt
C'est qu'il avait du boulot
Faut qu'il coupe des généraux
Des évêques, des amiraux,
Dans la rue des Blancs-Manteaux
ブラン・マントー通りで
死刑執行人は朝早く起きた
仕事があったから
彼は殺らなきゃならないのか、将軍たちや
司教たちや、提督たちを
ブラン・マントー通りで

Dans la rue des Blancs-Manteaux
Sont venues des dames comme il faut
Avec de beaux affûtiaux
Mais la tête leur faisait défaut 注
Elle avait roulé de son haut
La tête avec le chapeau
Dans le ruisseau des Blancs-Manteaux
ブラン・マントー通りに
婦人たちがやって来た 当然ながら
きれいな装飾品を付けて
だが彼女たちには頭がなかった
それは大きな音を立てて転がっていた
帽子をかぶった頭は
ブラン・マントー通りの溝に
[注] faire défaut「不足する、欠ける」

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