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2016
03.02

いい人でJuste quelqu'un de bien

Enzo enzo Deux


エンゾエンゾEnzo Enzoの「いい人でJuste quelqu'un de bien」はケントKentというシンガー・ソングライターが作った曲。1994年のアルバム: Deuxに収録され、同年、ヴィクトワール賞Victoires de la musiqueを受賞。既存の邦題は無いようなので新たにつけました。ルフラン部分はなんだか宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思わせますが、その裏に実存の不安がある…といった内容で、難しくて苦労しましたが、まだ若干不安が残る…。メロディーも、聴いて気持ちいいですが歌うとなると難しい。



作者のケント自身もスザンヌ・ヴェガSuzanne Vegaとデュオで歌っています。スザンヌは英語です。動画の最後は無音で、4:30くらいで曲は終っています。



Juste quelqu'un de bien  いい人で
Enzo Enzo          エンゾエンゾ


Debout devant ses illusions
Une femme que plus rien ne dérange
Détenue de son abandon
Son ennui lui donne le change

  自分の幻想を前にたたずんで
  女はもう何にも煩わされることなく
  あきらめに捉えられ
  憂鬱が彼女に変化をもたらす

Que retient elle de sa vie
Qu'elle pourrait revoir en peinture
Dans un joli cadre verni
En évidence sur un mur 注1

  彼女は自分の人生の何を覚えているのか
  壁の上で目立っている
  ニスを塗ったきれいな額縁に収まった
  絵のなかに彼女は何を再び見いだせるのだろうか

Juste quelquun de bien1


Un mariage en Technicolor
Un couple dans les tons pastels
Assez d'argent sans trop d'efforts
Pour deux trois folies mensuelles

  カラフルな結婚式
  パステル調のカップル
  月に2,3回、羽目を外すのに足りる
  たやすく得られるお金

Elle a rêvé comme tout le monde
Qu'elle tutoierait quelques vedettes 注2
Mais ses rêves en elle se fondent
Maint’nant son espoir serait d'être

  何人かのスターと親しく付き合うことを
  彼女はみんなと同様に夢見たものだ
  だが彼女の抱いた夢は消え
  今では彼女の望みは…

Juste quelqu'un de bien
Quelqu'un de bien
Le cœur à portée de main 注3
Juste quelqu'un de bien
Sans grand destin
Une amie à qui l'on tient
Juste quelqu'un de bien
Quelqu'un de bien

  まさしくいい人であること
  いい人で
  手の届くことにだけ心を向ける
  いい人で
  大きな幸運には恵まれず
  人に頼られる友であり
  まさしくいい人で
  いい人であること

Il m'arrive aussi de ces heures 注5
Où ma vie se penche sur le vide
Coupés tous les bruits du moteur
Au-dessus de terres arides

  乾いた土地の上方で
  モーター音がすべて消えて
  私の人生が空間の上で傾く
  そんな時間もまたやって来て…

Je plane à l'aube d'un malaise
Comme un soleil qui veut du mal
Aucune réponse n'apaise
Mes questions à la verticale 注6

  悪意のある太陽みたいな不安が
  湧き上がるとき私は滑降してゆく
  頭をもたげた私の疑問を
  どんな答えもなだめてはくれない

Juste quelquun de bien2


J'dis bonjour à la boulangère
Je tiens la porte à la vieille dame
Des fleurs pour la fête des mères
Et ce week-end à Amsterdam

  私はパン屋にこんにちはと言い
  年老いた女性にドアを開けておく
  母の日には花束を
  そして週末にはアムステルダムへ

Pour que tu m'aimes encore un peu
Quand je n'attends que du mépris
A l'heure où s'enfuit le Bon Dieu
Qui pourrait me dire si je suis

  私が軽蔑しかしてもらえない時に
  あなたが私をもうちょっと愛してくれるように
  神は姿を消す時に
  告げることだろう 私がもし…

Juste quelqu'un de bien
Quelqu'un de bien
Le cœur à portée de main
Juste quelqu'un de bien
Sans grand destin
Une amie à qui l'on tient
Juste quelqu'un de bien
Quelqu'un de bien

  まさしくいい人なら
  いい人
  手の届くことにだけ心を向ける
  いい人
  大きな幸運には恵まれずとも
  人に頼られる友
  まさしくいい人
  いい人ならと

J'aime à penser que tous les hommes
S'arrêtent parfois de poursuivre
L'ambition de marcher sur Rome 注7
Et connaissent la peur de vivre 注8

  私は思いたい 人間はだれしも
  栄光に向かって行く野望を
  推し進めるのを時には止めて
  生きることの怖さに…

Sur le bas-côté de la route
Sur la bande d'arrêt d'urgence 注8
Comme des gens qui parlent et qui doutent
D'être au-delà des apparences

  道路わきで
  路肩で気づくのだと
  不可知のことなのさと
  話したり疑ったりする人々のように…

Juste quelquun de bien3


Juste quelqu'un de bien
Quelqu'un de bien
Le cœur à portée de main
Juste quelqu'un de bien
Sans grand destin
Un ami à qui l'on tient
Juste quelqu'un de bien
Quelqu'un de bien

  まさしくいい人であることだ
  いい人で
  手の届くことにだけ心を向ける
  いい人で
  大きな幸運には恵まれず
  人に頼られる友であり
  まさしくいい人で
  いい人であることだ

[注] ルフランなどその前の節からつながっている場合、前節の訳文の末尾に「…」をつけてつながりをあらわした。
1 être en évidence「目につくところにある(いる)」
2 tutoyer「tuを用いて話しかける」「親しく付き合う」
3 à portée de…「…の届く範囲に」。「心が手の届く範囲にある」ということは、「自分の為し得ないことを考えない」。
4 これまでelle「彼女」の話とされていたが、ここから「私」の話になる。
5 à la verticale「垂直の」つまり、「今起こっている、現存している」。
6 Tous les chemins mènent a Rome.「すべての道はローマに通ずる」という格言は「真理というものは、どのような経路を通ったところで、必ず行き着くものである。」という意味であり、Romeは「目標」を示す。
7 次の節に続き、sur…で、気付く場所を示す。
8 la bande d'arrêt d'urgence逐語訳としては「非常駐車帯」となるが、日本語では「路肩」すなわち「道路の主要構造部を保護し車道の効用を保つために、車道、歩道、自転車道または自転車歩行者道に接続して設けられる帯状の道路の部分」で、故障などの緊急時に停止するために用いられる。
9 1回目と2回目のルフラン部ではune amieと歌っているが、この最後のルフラン部はun amiと歌っている。私個人ではなく、一般的な話にしているのだろう。ケントの歌では1回目はune amie、2回目はun amiで最後は英語。



コメント
こんにちは。
インタヴューを拝読し
1000曲を翻訳されたと知りました。
ほんとうに素晴らしいことです。

シャンソンの名曲も時代とともに消えるのか
という危惧を覚えないわけではありません。
しかしシャンソンがもっと関心を集めればいいのに
と願ってやみません。

現代日本では家庭でも学校でも職場でも
群れたくない、個性を大切にしたいという人が
増えている一方で、肝心の個の確立が十分でなく
しっかりと立つべき大地のような価値観が
失われ、社会の混乱に拍車をかけているように見えます。
そんな状況だからこそ、シャンソンは
日本人が見出すべき新しいアイデンティティ=個を
模索するのに役立つだろうと信じます。
恐らく英語の曲よりも、ちゃんと向き合えば
より明確な薬になるのでは?

その意味で、原詞に忠実な翻訳は、まさに時代が
要請していると思われてなりません。
貴重な貢献と、差し出がましいことですが
盛大な拍手を贈らせてください。



この歌、難しいですね。
どんな状況だから、この歌なのか
という点で、まず初めに受け手の視点が定まらない。
日本でリリースされたCDの訳詞を見ても
どうもよくわかりませんでした。
(邦題は「誰かいい人」だったかと記憶します)

それで、拙訳を試みたのですが
時間をおいて3度失敗し、4度めだったか、ようやく
まがりなりにも全体像がつかめた気がしました。
夢のような新婚生活になると思ったら
間違いだったとすぐに気がついた女性の歌
というのが当方の視点です。


実は当方も気づかず、従って間違えているのですが
サビで出てくる Une amie は
最後に Un ami になっていました。
その違いをはっきりと訳出すべきなのですが・・・。

現在考える解釈としては
前者は、ご翻訳のとおり、ほかの人にとって
そんな Une amie でありたいという
自身のことを指しているかと思います。
対して、Un ami は、そんな自分にバランスよく
向き合ってくれる、ふさわしい男性 と取るべきかなぁ
と愚考するのですが。

ホント、翻訳ってメンドウです。
でも、当方はヨガとは無縁なので
頭の体操にはなるな、くらいには
表現させてください。
長文、失礼しました。
どうぞ変わらぬご健筆を。





うーまく・ぺんdot 2018.05.10 15:55 | 編集
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