
パトリシア・カースPatricia Kaasは1966年に、ドイツの国境に隣接したロレーヌ地域圏のフォルバックで生まれ、父親はフランス人、母親はドイツ人で、カースは13歳で歌手としてステージに立ちました。この地は19世紀後半~20世紀初めにドイツ帝国の領土となっていた時代があり、第2次大戦中もドイツに併合されていました。カースの故郷はフランスとドイツの狭間にあって、彼女の生まれる前のことながら両国の領土争いに翻弄され続けた土地柄だったのです。母親がドイツ人で6歳までドイツ語しか話せず、ドイツのザールブリュッケンで初めてステージに立ったというカースにとって、ドイツは第2の祖国なのです。
今回取り上げる曲は「ダルマーニュD’Allemagne」。 Allemagneとはフランス語でドイツのことで、一部にドイツ語の挿入されたこの歌詞は、彼女本人の作詞ではありませんが、彼女のドイツへの想いを語り、フランスとドイツを、また西ドイツと東ドイツを分ける国境を物語っています。1989年のドイツ東西国境開放の2年前の1987年にデヴューアルバムMademoiselle chante...に収録され、同年シングルカットされました。作詞:ディディエ・バルブリヴィアンDidier Barbelivienとフランソワ・ベルンハイムFrançois Bernheim、作曲: ディディエ・バルブリヴィアンDidier Barbelivien。先に取り上げた「東欧の娘Une flle de l'Est」もカースの出自に関連した内容の曲でした。
D'Allemagne ダルマーニュ
Patricia Kaas パトリシア・カース
挿入した写真は、カースの故郷フォルバックForbach
D’Allemagne où j’écoute la pluie en vacances
D’Allemagne où j’entends le rock en silence
D’Allemagne où j’ai des souvenirs d’en face
Où j’ai des souvenirs d’enfance
Lenin platz et Anatole France 注1
私にはヴァカンスに雨の音が聞こえるドイツの
私には静けさのなかでロックが聴こえるドイツの
私にはじかに経験した想い出のある
私には子どもの頃の想い出のあるドイツの
レーニン広場とアナトール・フランス
D’Allemagne l’histoire passée est une injure
D’Allemagne l’avenir est une aventure
D’Allemagne je connais les sens interdits 注2
Je sais où dorment les fusils
Je sais où s’arrête l’indulgence
ドイツの過去の歴史は屈辱
ドイツの未来は波乱含み
ドイツについての禁じられた観方を私は知っている
私は武器がどこに眠っているか分かっている
私は受容をどこで打ち切るべきか分かっている

{Refrain:}
Auf wiedersehn Lili Marlène 注3
Reparlez-moi des roses de Göttingen 注4
Qui m’accompagnent dans l’autre Allemagne
A l’heure où colombes et vautours s’éloignent 注5
De quel côté du mur, la frontière vous rassure
また会いましょうリリー・マルレーン
もう一つのドイツにまで私について来てくれた
ゲッティンゲンのバラの花についてまた話してよ
ハトとワシが互いに遠ざかる時代にあって
壁の、国境のどちら側があなたの安住の地なの
D’Allemagne j’ai des histoires d’amour sincère
Je plane sur des musiques d’Apollinaire
D’Allemagne le romantisme est plus violent
Les violons jouent toujours plus lents
Des valses viennoises ordinaires
ドイツの真摯な愛の物語を私は知っている
私はアポリネールの音楽に陶酔する
ドイツのロマンティズムはもっと強烈で
ヴァイオリンは平凡なウィーンのワルツを
常にもっとゆっくりと奏でる

{Refrain}
Ich habe eine kleine Wildblume
Eine Flamme, die zwischen den Wolken blüt
D’Allemagne j’ai une petite fleur dans l’cœur
Qui est comme l’idée du bonheur
Qui va grandir comme un arbre
私は小さな野の花を持っている
雲の中に花開く一つの炎
ドイツの小さな花を私は心の中に持っている
それはしあわせを思う気持ちのようだ
それは木のように大きく育って行く

{Refrain}
Auf wiedersehn Lili Marlène
Reparlez-moi des roses de Göttingen
また会いましょうリリー・マルレーン
ゲッティンゲンのバラの花についてまた話してよ
[注] タイトルおよび歌詞の最初のD’Allemagneはde+Allemagneで、名詞につながって「ドイツの」、動詞につながって「ドイツについて」などの意味になるが、単独に用いて言外の意味を含ませている。
1 Lenin platz「レーニン広場」は東ベルリンのフリードリヒスハイン地区の国連広場Platz der vereinten Nationenの旧称で、巨大なレーニン像が立っていたが、1991年~1992年に分解して広場から撤去され砂の中に埋められた。 Anatole France「アナトール・フランス」(1844-1924)はフランスの詩人・小説家・批評家で、パリにはその名を冠した区・駅・通りがあり、ナントとトゥールーズには広場がある。ここでは広場の名前ととれるが裏にフランスという国名を表す意図があるようなので、訳語には「広場」を加えなかった。
2 sens interditには「車両進入禁止」の意味もあるが該当しない。
3 ドイツ語の部分は色を変えた。Auf wiedersehnはフランス語のAu revoirと同義でAdieuではない。「リリー・マルレーンLili Marlène」は、戦場の兵士が故郷の恋人への思いを歌った歌で、第二次世界大戦直前の1938年にララ・アンデルセンLale Andersenが創唱し、ドイツ軍兵士を慰めたが、後にアメリカの市民権を得ていたマレーネ・ディートリッヒMarlene Dietrichが連合軍側の戦場慰問で歌って大ヒットした。この曲はカースのレパートリーの一つであり、また彼女はマレーネ・ディートリッヒに非常に親近感を感じていたようだ。ここでは、曲名ではなくひとりのドイツ人女性の名として用いている。
4 eine kleine Wildblume「小さな野の花」とは、第二次世界大戦中にドイツとドイツ軍兵士を中心に歌われていた「エリカErika(正式名:荒野に咲く一輪の小さな花Auf der Heide blüht ein kleines Blümelein)」という、「リリー・マルレーンLili Marlène」と同様に戦場の兵士が故郷の恋人への思いを歌った歌のことかと思ったが、ドイツ語のインタヴュー記事で、カースは自分の想いを表していると言っている。
5 Göttingen「ゲッティンゲン」のバラとは、前回取り上げたバルバラBarbalaの「ゲッティンゲンGöttingen」でバラが美しいと歌っており、その歌詞を踏まえているのだろう。
6 colombe「ハト」は平和の象徴でvautour「ハゲワシ」は軍事力の象徴とされるが、ドイツ帝国がワシを紋章としたことに倣いナチス・ドイツは軍服や建築物等にワシの意匠を施した。現在もドイツ連邦共和国の国章にワシが使われている。
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