
ジョゼフィン・ベーカーJoséphine Baker(1906年-1975年)は、フランス語読みでジョゼフィーヌ・バケールとも呼ばれる、ユダヤ系スペイン人とアフリカ系アメリカ人の混血でアメリカ、セントルイス出身の歌手・女優。
フィラデルフィア、ニューヨークなどアメリカ国内でショーに出演していましたが、1925年にパリのシャンゼリゼ劇場で、la Revue nègreというグループに加わり、チャールストン・ダンスで注目を浴び、バナナを腰の周りにぶら下げただけの衣装が話題になりました。詩人ボードレールは黒人の愛人をもち、黒人女性を賛美したことで知られていますが、彼女も「黒いヴィーナス」と呼ばれ、ラングストン・ヒューズやパブロ・ピカソ、アーネスト・ヘミングウェイなど同時代の作家、画家、彫刻家にとっての美の女神となりました。
東ヨーロッパと南アメリカ公演旅行の後、ベーカーは今度は歌手としてもデビューを果たし、今回取り上げる代表曲「二つの愛J'ai deux amours」(1930年、作詞:Géo Koger、Henri Varna、作曲:Vincent Scotto)をはじめとして、「ハイチHaiti」、「かわいいトンキン娘La petite tonkinoise」、「かわいいベイビーPretty little baby」などを歌いました。
祖国アメリカで、人種的な差別、偏見にさらされてきたベーカーは1937年にフランス国籍を取得したあと、第二次世界大戦中はレジスタンス運動や秘密情報部の活動に携わり、戦後その功績によりレジオン・ドヌール勲章などを授与されました。ヨーロッパの貴族の称号を持つことになった初めてのアフリカ系のアメリカ人女性といわれるベーカーは、さまざまな人種の12人の孤児を養子とし、ランスの古城で生活を共にしたこと、モナコ王妃グレース・ケリーとの交友などでも知られています。1950年代にはアメリカの公民権運動の支援に手を貸し、1963年8月にマーティン・ルーサー・キングの呼びかけで行われたワシントン大行進に参加。1954年には、原爆死没者慰霊碑にも参拝しています。
1956年に舞台からの引退声明を発表し、1961年にカムバック。1973年にはカーネギー・ホールでの公演で大成功を収めました。そして1975年3月24日より、パリのボビノ劇場Le théâtre Bobinoで芸能生活50周年を祝うショーを開催し、その14回目の公演のあと脳溢血で倒れて亡くなりました。私生活では、6度の結婚を経験し、数多くの自叙伝を執筆しています。偉人たちを祀る墓所であるパリのパンテオンに黒人女性として初めて埋葬されました。
ジョゼフィン・ベーカーのダンス
「二つの愛」
「二つの愛」ジャズ的なアレンジ
J'ai deux amours 二つの愛
Joséphine Baker ジョゼフィン・ベーカー
On dit qu'au delà des mers 注1
Là-bas sous le ciel clair
Il existe une cité
Au séjour enchanté
Et sous les grands arbres noirs

Chaque soir
Vers elle s'en va tout mon espoir
海のむこうの
晴れた空の下に
風光明美な
ひとつの都市があるという
大きな黒い木々の下で
毎夜
私の憧れはその都市へと向かう
J'ai deux amours
Mon pays et Paris 注2
Par eux toujours
Mon cœur est ravi
Ma savane est belle
Mais à quoi bon le nier 注3
Ce qui m'ensorcelle
C'est Paris, Paris tout entier
Le voir un jour
C'est mon rêve joli
J'ai deux amours
Mon pays et Paris
私には二人の恋人がいる
私の故郷とパリ
私の心はずっと
彼らに夢中になっている
私のサバンナは美しい
拒んでなんになろう
私を魅惑するものを
それはパリ、パリそのもの
いつかパリを見ることが
私の楽しい夢
私には二人の恋人がいる
私の故郷とパリ

Quand sur la rive parfois
Au lointain j'aperçois
Un paquebot qui s'en va
Vers lui je tends les bras
Et le cœur battant d'émoi
A mi-voix
Doucement je dis "emporte-moi !"
岸辺でときおり
遠くに私は見かける
パリに向かって船出する定期船を
それに向かって私は手を振り
心ときめかせ
小声で
そっと「私を連れてって!」と言うの
J'ai deux amours....
私には二人の恋人がいるのよ…
[注]題名および歌詞中のdeux amoursは通常「二つの愛」と訳されているが、歌詞中では文脈上、「二人の恋人」と訳した。そのうちのmon paysは、ベーカーの実際の故郷であるセントルイスではなく、アフリカと設定されている。
1 On dit que…「…らしい」。au delà de…「…の向こうに」。
2 Mon pays et Paris レジスタンス運動中はMon pays c’est Paris「私の故郷、それはパリ」と歌った。
3 à quoi bon「それが何になるのか」
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コメント
1955年代、当時、児童養護施設の職員だった私は同施設の保母の婚約者と大阪市の会館でジョセヒンベーカーのコンサートでこの曲、二つの愛を聴き、今でも覚えています。妻はこの2月に90歳で昇天。当時の懐かしい歌を思い出しています。
大谷 寿夫
2020.03.26 17:26 | 編集
