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2015
09.14

庭があったIl y avait un jardin

Georges Moustaki Il y avait un jardin


先に取り上げたニコル・ルヴィエNicole Louvierの「パリの庭 Paris jardin」はパリを庭に例えた曲でした。今回は、地球を庭に例えた「庭があったIl y avait un jardin」です。ジョルジュ・ムスタキGeorges Moustakiが1971年に作り、同名のアルバムに収録されました。「悲しみの庭」という邦題もあるようですが、あえて直訳の題にします。美しい歌詞、美しい曲です。

このブログでは、ムスタキの曲としては、「3月の水Águas de março」「ヒロシマHiroshima」「もう遅すぎるIl est trop tard」をすでに取り上げていますが、あらためて彼のプロフィールをご紹介しましょう。
ギリシャ系ユダヤ人のシンガー・ソングライターである彼は、1934年に両親がエジプトに亡命中にアレクサンドリアで生まれ、そこで育ちました。フランス系の学校に通っていましたが、17歳の時にパリに出てきて、セーヌ左岸を拠点に、ジャーナリスト、ピアノ・バーのバーテンを経て、カフェやキャバレーでギターの弾き語りをやったり、友人たちのために曲作りをしたりしていて、ジョルジュ・ブラッサンスGeorges Brassensを聴いて感銘を受け、自分の名前にGeorgesをつけました。1957年にエディット・ピアフÉdith Piafに出会い、23歳の彼は41歳のピアフと恋人生活を送り、アメリカ公演にも同行し、彼女のために多くの曲を書きました。「ミロールMilord」も彼の作詞で、そのヒットで知名度が高まったのですが、彼女とは約1年で決別します。60年代はもっぱら、Yves Montandイヴ・モンタン、Barbaraバルバラ、Serge Reggianiセルジュ・レジアーニらの歌手の曲を書いていて、1969年には、自ら歌手としてデヴュー。そして、1968年に当初ピア・コロンボPia Colomboのために作った「異国の人Le Métèque」を、69年に自分で歌い、それが大ヒットします。Le Métèqueとは「よそ者、無国籍者」という意味で、はみ出し者や放浪者たちのもつ、ロマン主義、自由主義を謳いあげた曲です。彼自身、無国籍・多国籍な「地中海人Méditerranéen」と自称し、曲想も無国籍で、ブラジル系のサンバ、ボサノバ、フォルクローレなどを取り入れた曲作りをし、取り上げるテーマも愛の歌からプロテストソングまで、幅広いものです。
「異国の人Le métèque」のほか「私の孤独Ma solitude」「若い郵便屋Le facteur」 「僕の自由Ma liberté」「ラ・ダム・ブリュンヌ(褐色の髪の女性)La dame brune」も旧ブログですでに訳していますので、順次こちらに運んできましょう。
相当な美男子ながら、髭面で、若いうちから老人のような風貌で通してきました。ギリシャ語・アラビア語・フランス語に堪能で、旅行・絵画・オートバイが趣味でした。1976年に「自伝的エッセイ 私の孤独」の翻訳本が角川書店から発売されています。 2013 年に79 歳で亡くなりました。



Il y avait un jardin           庭があった
Georges Moustaki           ジョルジュ・ムスタキ


{Parlé}
C´est une chanson pour les enfants
Qui naissent et qui vivent entre l´acier
Et le bitume entre le béton et l´asphalte 注1
Et qui ne sauront peut-être jamais
Que la terre était un jardin

  これは子供たちのための歌だ
  その子供たちは鋼鉄と瀝青のあいだで
  コンクリートとアスファルトのあいだで生まれ生きていて
  そして地球が庭だということを
  たぶんけっして知ることはないだろう

Il y avait un jardin qu´on appelait la terre
Il brillait au soleil comme un fruit défendu 注2
Non ce n´était pas le paradis ni l´enfer
Ni rien de déjà vu ou déjà entendu

  地球という名の庭があった
  それは陽の光を受けて禁断の木の実のように輝いていた
  いや、それは天国でも地獄でもなかった
  今まで見たことも聞いたこともないものだった

Il y avait un jardin1


Il y avait un jardin une maison des arbres
Avec un lit de mousse pour y faire l´amour
Et un petit ruisseau roulant sans une vague
Venait le rafraîchir et poursuivait son cours.

  庭があり、家があり木々があった
  愛をいとなむための苔のベッドもあり
  そして小さな小川が波を立てずに廻って
  庭を清め流れ続けていた。

Il y avait un jardin grand comme une vallée
On pouvait s´y nourrir à toutes les saisons
Sur la terre brûlante ou sur l´herbe gelée
Et découvrir des fleurs qui n´avaient pas de nom.

  渓谷のような大きな庭があった
  ひとはそこで年中、食べていけた
  焼け付くような地面の上であるいは凍った草の上でも
  そして名もない花々を見つけることができた

Il y avait un jardin2


Il y avait un jardin qu´on appelait la terre
Il était assez grand pour des milliers d´enfants
Il était habité jadis par nos grands-pères
Qui le tenaient eux-mêmes de leurs grands-parents.

  地球という名の庭があった
  幾千もの子供たちにも十分な大きさだった
  昔は僕たちの祖父らが住み
  彼ら自身、その祖父らから引き継いだものだった

Où est-il ce jardin où nous aurions pu naître
Où nous aurions pu vivre insouciants et nus,
Où est cette maison toutes portes ouvertes
Que je cherche encore et que je ne trouve plus.

  どこにあるんだ、僕たちが生まれることができ
  僕たちが安穏に裸で生きることのできたこの庭は、
  扉がぜんぶ開かれたこの家はどこにあるんだ
  それを僕はまだ探しているがそれはもう見つかりはしない。

Il y avait un jardin3


[注]
1 bitume「ビチューメン、瀝青」天然の炭化水素含有の鉱物で、道路舗装などに用いられる。同じ行に出てくるasphalte「アスファルト」およびコールタールなども含んだ名称。
2 fruit défendu「禁断の木の実」




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