
「木の下の家La maison sous les arbres」の次は「泉の傍の家La maison près de la fontaine」と行きましょう。ニノ・フェレールNino Ferrerが作り歌った曲です。
フェレールは1934年にイタリアのジェノヴァで生まれました。1963年に出した最初のアルバム(45回転のEP)に、越路吹雪が歌って日本でも知られている「別離C'est irreparable」も入っていましたが、当初は話題にならず、1965年に、ミーナMinaがUn anno d'amoreの曲名でイタリア語で(日本語でも)歌い、それがヒットしたことで、フェレールの元の歌が注目されるようになりました。65年には「ミルザMirza」と「まぬけLes Cornichons」がヒットし、その後、ヒットが続くようになりました。そして、72年に出した、今回取り上げるこの曲と、75年に出した「南フランスLe Sud」は彼の代表作となりました。その後は活動が低迷し、半ば引退して絵画や演劇の脚本を手がけていました。もともと独特のシニカルな人生観を持っていた彼は、1998年、64歳の誕生日を目前に、自宅で銃により自殺しました。
この曲を聴くと、私は「セント・ジェームズ病院St. James Infirmary Blues」などのルイ・アームストロングLouis Armstrongのジャズの曲を思い出します。そこで調べてみましたら、やはり、フェレールはソロ・デヴューする前、ジャズに傾倒し、女性ジャズ・シンガーのバックなどをやっていたそうです。
この曲は、想い出の多い大切な家がなくなってしまったことを惜しむ歌ですが、鳥のさえずりから始まり、ジャズ的なアレンジと詩的な歌詞で、聴いていてとてもうれしくなります。
La maison près de la fontaine 泉の傍の家
Nino Ferrer ニノ・フェレール
La maison près de la fontaine
Couverte de vigne vierge et de toiles d’araignée
Sentait la confiture et le désordre et l’obscurité 注1
L’automne
L’enfance
L’éternité...
泉の傍の家は
清らかな葡萄の木と蜘蛛の巣に覆われ
ジャムと無秩序と暗がりの匂いがした
秋
幼年時代
永遠…

Autour il y avait le silence
Les guêpes et les nids des oiseaux
On allait à la pêche aux écrevisses
Avec Monsieur le curé 注2
On se baignait tout nus, tout noirs
Avec les petites filles et les canards...
まわりには静寂と
スズメバチの群れと鳥の巣があった
僕たちはザリガニを捕りに行った
神父さまと
僕たちは真っ裸で水浴びした、真っ黒に日焼けして
女の子たちやアヒルたちと…

La maison près des HLM 注3
A fait place à l’usine et au supermarché 注4
Les arbres ont disparu, mais çá sent l’hydrogène sulfuré
L’essence
La guerre
La société...
公団住宅の傍の家は
工場やスーパーに替わり
木々は消え、そして硫化水素の匂いがする
ガソリン
戦争
社会…

C’n’est pas si mal
Et c’est normal
C’est le progrès.
それはそんなに悪いことでもなくて
普通のこと
進歩なのさ。
[注]
1 sentir+定冠詞+名詞「…の匂いを放つ、を思わせる、の印象を与える」。la confiture「ジャム」から、「匂い」を選んだが、le désordreとl’obscuritéは、雰囲気的な意味合いが強い。また、後続のl’automneほかも、これらに加わるかに見えるが、別に羅列されているとして訳した。3節目に関しても同様である。
2 大文字でMonsieur +定冠詞+役職名「…殿、様」curé本来は「(カトリックの)主任司祭」だが、話し言葉で「神父」。
3 HLM=habitation à loyer modéréは、第2次大戦後のフランスの主要な住宅政策のひとつで、低所得者のための低家賃住宅。日本では「公団」に該当する。
4 faire place à qc「…に取って代わられる」
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