
きょうは日曜日なので、この曲を。「暗い日曜日Sombre dimanche」という題名どおりの暗い曲ですが、影響されないで、どうか明るい日曜日をお過ごしください。
もともとは、1933年に作られたハンガリーの曲で、ハンガリーでは、当時のナチス・ドイツによる軍事侵攻の影響もあってか、この歌を聞いて何人もの自殺者(数字は諸説あり)が出たということで「自殺ソング」とも呼ばれ、イギリスBBC放送では放送を禁止しました。本作のヒット後に、作曲者本人も喉の病気のために自殺したそうです。その後、この曲をもとにした小説が1999年にドイツ・ハンガリー共同で映画化されました。日本でも、そのDVDは出ています。
1936年にフランス語でダミアDamiaが歌って世界的に有名になり、1987年には、セルジュ・ゲンスブールSerge GainsbourgのカバーがGroomy Sundayという英語の題名で、アルバム「囚われ者You're Under Arrest」に収録されています。その英語名はジャズにアレンジされた際に用いられたもので、シャンソンの曲だと誤解している人が多いのに、こちらの名称のほうが世界的に知られています。
ダミアは、「現実派シャンソンChanson réaliste」と呼ばれる作品を多く歌った歌手で、黒いドレスに身を包み、悲劇的な歌詞を歌う美貌の彼女は「シャンソンの悲劇女優」とあだ名されました。初めて来日したシャンソン歌手です。
セルジュ・ゲンズブールのラップ調のカバー
ハンガリーの映画の元歌が歌われるシーンです。
Sombre dimanche 暗い日曜日
Damia ダミア
Sombre dimanche
Les bras tout chargés de fleurs
Je suis entrée dans notre chambre, le cœur las
Car je savais déjà que tu ne viendrais pas
Et j'ai chanté des mots d'amour et de douleur
Je suis restée toute seule et j'ai pleuré tout bas
En écoutant hurler la plainte des frimas 注1
Sombre dimanche
暗い日曜日
両手いっぱいに花を抱え
愛の巣に帰ってきた私、心は沈んだまま
なぜって、あなたが来ないことがもう分かっていたから
そして、愛の言葉、苦しみの言葉を口ずさんだ
ひとりっきりで声を押し殺して泣いた
氷霧を巻き込んだ風がうめくような音を立てるのを聞きながら
暗い日曜日

Je mourrai un dimanche où j'aurai trop souffert
Alors tu reviendras mais je serai partie 注2
Des cierges brûleront comme un ardent espoir
Et pour toi, sans effort, mes yeux seront ouverts 注3
N'aie pas peur, mon amour, s'ils ne peuvent te voir
Ils te diront que je t'aimais plus que ma vie
Sombre dimanche
苦しみにうちひしがれたある日曜日 私は死ぬわ
あなたが戻って来たとき私はもういない
ろうそくが大きな希望のように燃えているでしょう
私の目は、おのずとあなたのほうを向いて開いているでしょう
恐れないで、あなた、私の目はあなたを見ることができなくても
私があなたを自分の命より大切に思っていたことを伝えるでしょうから
暗い日曜日
N’aie pas peur de mes yeux, s’ils ne peuvent te voir
Ils te diront que je t'aimais plus que ma vie
Sombre dimanche
私の目を恐れないで、私の目はあなたを見ることができなくても
私があなたを自分の命より大切に思っていたことを伝えるでしょうから
暗い日曜日

[注]
1 hurlerは、うなり声をあげる。plainteはうめき声。 frimasは、地面に落ちて霜となる冷たい霧。霧がうなり声をあげるというのは理解しがたいが、物悲しい風の音を立てることをあらわすplainte du ventという表現があることから、うなり声をあげるのは実際は風であろう。その時の女性の様子と重ね合わせた表現。
2 元の歌詞は、女性が暗い日曜日に、先に亡くなった恋人を想って嘆き、最後は自殺を決意するという内容。この歌詞では、恋人が戻ってくるので、違う状況となっている。
3 sans effortの本来の意味は「苦もなく、やすやすと」。ここでは、死んだ人の目のことだから、tout(s) seul(s)「ひとりでに」に近い意味だろう。
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