
このブログでは、シャルル・トレネCharles Trenetの曲としては、「恋の名残は?(残されし恋には)Que reste-t-il de nos amours ?」「優しきフランスDouce France」「四月のパリEn avril à Paris」「ベジエの奥方La dame de Béziers」「喜びありY'a de la joie」「浜辺のピアノLe piano de la plage」「風うたいChante le vent」「子守唄Berceuse」「国道7号線Route nationale 7」「あなたの手をとってJ'ai ta main」「詩人の魂L'âme des poètes」「パリに帰りてRetour a paris(あるいはRevoir Paris)」「ブン!Boum!」、ジュリエット・グレコのために作った「街角Coin de rue」をすでに取り上げています。旧ブログでは「ラ・メールLa mer」「くるみUne noix」、「ピアノのなかに探さないで Ne cherchez pas dans les pianos」「僕はミュージック・ホールが好きMoi, j'aime le music-hall」「若かりし頃Mes jeunes années」「パリのロマンスLa romance de Paris」「私は歌うJe chante」も取り上げていますが、徐々にこちらに運んできます。
今回は彼の一番の代表作である「ラ・メールLa mer」を運んできましょう。実は先月28日に信州大学で開かれた「シャンソン研究会」で、この曲についての私の解釈を発表しました。その内容を反映させてこの記事を書きます。歌詞の下の[注]の欄はその論旨に基づいています。
1943年にトレネは、モンペリエMontpellier からペルピニャンPerpignanへ向かう列車に、歌手のロラン・ジェルボーRoland Gerbeau、ピアニストのレオ・ショリァクLéo Chauliacそして自分の秘書といっしょに乗っていました。トー湖l’étang de Thau と外海を隔てる細い陸地すなわち沿岸洲を通る路線を通っているとき、窓から見える風景にインスピレーションを得て「ラ・メールLa Mer」の歌詞を書きました。そして、レオ・ショリァクLéo ChauliacがドビュッシーClaude Debussyの「海La Mer」を元に曲をつけました(Wikipédia より)。 リシャール・カナヴォRichard Canavo 著「トレネ 自由の世紀Trene Le siecle en liberte」(1989年)およびトレネをテーマとするサイトにも、その日のエピソードを語るロラン・ジェルボーの言葉が紹介されています。
トレネは、こんなスィング性に乏しい曲は売れる見込みがないと思って、すぐには録音せず、シュジィ・ソリドールSuzy Solidorに歌ってみないかと持ちかけて断られ、1945年にルネ・ルバRenée Lebasが創唱しました。彼女がLa merの母la mèreとなった訳です。
1946年に、ラウル・ブルトンRaoul Bretonの勧めでトレネ自身がコーラス入りのアルベール・ラスリーAlbert Lasryの編曲で歌い、それはたいへん好評を博しました。
1946年にアメリカの作曲家ジャック・ローレンスJack LawrenceがBeyond the seaと題して英語の歌詞を作り、ボビー・ダーリンBobby Darinほかが歌いました。内容は恋の歌に変わっています。
La mer ラ・メール
Charles Trenet シャルル・トレネ
La mer
Qu' on voit danser le long des golfes clairs
A des reflets d' argent
La mer
Des reflets changeants sous la pluie
明るい湾岸に沿ってダンスしているのが見える
あの海は
銀色に輝いているよ
海は
輝きを変える
雨のもとではね
La mer
Au ciel d' été confond ses blancs moutons 注1
Avec les anges si purs
La mer
Bergère d' azur infinie 注2
海は
夏空のなかで、混同してしまう
自分の白羊たちを
とっても清らかな天使たちと
海は羊飼いの娘
限りなき碧界の

Voyez 注3
Prés des étangs ces grands roseaux mouillés
Voyez
Ces oiseaux blancs et ces maisons rouillées
ごらんよ
潟のそばの
この大きな濡れた葦たちを
ごらんよ
この白い鳥たちを
そしてこの赤錆色の家々を

La mer
Les a bercé le long des golfes clairs 注4
Et d' une chanson d' amour
La mer
A bercé mon cœur pour la vie
海は
明るい湾岸に沿って
それらをやさしく揺すりあやした
そして愛の歌で
海は
僕の心を揺すりあやしてくれたんだ一生のあいだ
(以上2回繰り返し)
[注]
1 confondre (A avec B)「(AとBとを)混同する。「空の雲」「海の波頭」ともにmouton「羊」にたとえられる。ses=de ciel d'étéととってblancs moutons「白い羊たち」を「雲」と解釈することも可能だと思い、かなり検討を重ねたが、文法上の照合性からses=de la merとしてblancs moutonsを「海の白い波頭」とする正統的な解釈を採用せるを得ないと結論した。夏空のもとでトー湖と海の間を通る車中の、まるで海の中を通っているような、海と空も混じり合うような不思議体験のなかでの感情移入であり、あえて言えば「海の波頭」が「空の雲」にまごう世界を表現しているのである。
2 azurは詩語として「碧空」「碧海」ともにあらわし、海と空を合わせた表現だととらえたく、「碧界」という造語を用いた。infinieは空間的な広がりを示している。
3 Voyez「ごらん」は、列車に同乗した3人に対する呼びかけ。トー湖は海の水が入り込む塩水湖で、カキの養殖がさかんな場所である。そこでは、植物や鳥や人々やもろもろの生命が育まれている。カンガルーのお腹あるいは子宮のようでもある。
4 生命が育まれる場所は二重構造になっており、トー湖をその内に含むgolfeは大きな湾で、コートダジュールの東、トゥーロンからジローナ辺りまでの、地中海la Méditerranéeが入り組んだところ全体を指す。トレネの生地ナルボンヌや幼少時に過ごしたペルピニャンも含まれる場所である。それまで、現在形で、「ごらん」といった感じで、臨場感のある表現をしていたのに、ここで突然、過去形の表現に変わり、幼い頃に自分を育んでくれたふるさとの海への思いを表している。最後のpour la vieはそれを時間的に延長して未来へとつなぐ表現であるが、おりしも戦争中で、フランスがドイツの占領下にあったということを思うとこの3語の響きはより重要性を増す。


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コメント
10行目の bergère ですが、羊飼では意味をなさないので、もう一つのbergère(2)の
(1)ベルジェール、大型の安楽椅子 または(2)18世紀の大型の婦人用の麦わら帽子
が適切ではないのかと考えていますが、如何でしょうか?
海は大きな揺籠(あらゆる生物の)である。という意味で。
(1)ベルジェール、大型の安楽椅子 または(2)18世紀の大型の婦人用の麦わら帽子
が適切ではないのかと考えていますが、如何でしょうか?
海は大きな揺籠(あらゆる生物の)である。という意味で。
IKUTCHAN
2020.11.27 20:20 | 編集
