
桜んぼは旬の時期が短い果物です。そして、恋もまた旬の時期が短い…。
「桜んぼの実る頃Le temps des cerises」は、現役シャンソン、すなわち今なお歌い続けられているシャンソンのなかで一番古い曲だといわれます。1866年にジャン=バティスト・クレマンJean-Baptiste Clémentが歌詞を書き、2年後にオペラ歌手だったアントワーヌ・ルナールAntoine Renardが曲をつけました。もともとは感傷的な恋の歌で、3番までしかありませんでした。クレマンはコート一枚と引き換えにこの曲をルナールにあげてしまったといわれます。
その後、1871年3月に労働者政権のパリ・コミューンが政権を取ったあと、5月には国民議会が政権を奪い、市街戦ののちに27日に、コミューン連盟兵たちをペール・ラシェーズ墓地の北東の壁の前で銃殺します。上記の写真がその壁で、「連盟兵の壁」とよばれています。その事件が起こったのがちょうど桜んぼの季節でしたし、「血のしずくのように滴る」という、歌詞のなかの桜んぼの形容もあって、1875年前後から、第三共和政に批判的なパリ市民たちは、連盟兵たちへの追悼の気持ちをこの歌に託して歌うようになりました。
ルイーズという女性革命家がパリ・コミューンの蜂起にかかわり、その後7年間ニュー・カレドニアに流され、釈放後も労働運動やドレフュス事件などで活躍しました。
1885年、作詞から20年も経って、コミューン評議員でもあったクレマンは、この曲に4番目の歌詞を書き加えてルイーズに捧げました。恋の歌は完全に意味合いを変えたわけですが、もとのとおりの恋の歌として歌ったり聴いたりすることももちろん可能です。
これも多くの歌手が歌っています。Wikipediaのフランス語のページによると、40人以上。
日本では、1992年にスタジオジブリのアニメ映画「紅の豚」で、加藤登紀子が「ジーナ」の声を演じてフランス語で歌っているのが印象的です。
一番代表的なのはコラ・ヴォケールCora Vaucaireの歌でしょう。
ジャン・リュミエールJean Lumièreという人の古い録音
変わったところで、若手グループのノワール・デジールNoir Désirを出しておきましょう。パリ・コミューン時代をテーマとしたGerminalとLa communeを使ったモンタージュ・ビデオをバックにしています。
Le temps des cerises 桜んぼの実る頃
Cora Vaucaire コラ・ヴォケール
Quand nous chanterons le temps des cerises
Et gai rossignol et merle moqueur
Seront tous en fête 注1
Les belles auront la folie en tête
Et les amoureux du soleil au cœur 注2
Quand nous chanterons le temps des cerises
Sifflera bien mieux le merle moqueur
僕たちが桜んぼの季節を歌い
陽気なナイチンゲールやマネシツグミが
浮かれ騒ぐとき
きれいな娘たちはのぼせあがり
恋人たちは胸を熱く焦がすだろう
僕たちが桜んぼの季節を歌うとき
マネシツグミはもっとじょうずにさえずるだろう

Mais il est bien court le temps des cerises
Où l'on s'en va deux cueillir en rêvant
Des pendants d'oreilles 注3
Cerises d'amour aux robes pareilles
Tombant sous la feuille en gouttes de sang
Mais il est bien court le temps des cerises
Pendants de corail qu'on cueille en rêvant
でも 桜んぼの季節はとても短い
耳飾りを二人して夢みごこちで摘みに行く季節は
血のしずくのように葉陰に滴り落ちる
おそろいの衣装の愛のさくらんぼ
夢みごこちで摘む珊瑚の耳飾り
桜んぼの季節はとても短い
Quand vous en serez au temps des cerises
Si vous avez peur des chagrins d'amour
Evitez les belles
Moi qui ne crains pas les peines cruelles
Je ne vivrai pas sans souffrir un jour
Quand vous en serez au temps des cerises
Vous aurez aussi des peines d'amour
桜んぼの季節には
恋の辛さを恐れるのなら
きれいな娘たちを避けることだ
耐え難い苦しみに怖じない僕は
一日たりとて苦しまずに生きることはないだろう
桜んぼの季節には
君たちもまた恋の苦しみを味わうだろう

J'aimerai toujours le temps des cerises
C'est de ce temps-là que je garde au cœur
Une plaie ouverte
Et Dame Fortune, en m'étant offerte 注4
Ne saura jamais calmer ma douleur
J'aimerai toujours le temps des cerises
Et le souvenir que je garde au cœur
僕はずっと桜んぼの季節を愛し続ける
僕が癒えることのない傷口をこころの奥に持ったのは
この季節だから
運命の女神は、たとえ僕に微笑みかけても
僕の苦しみを鎮めることなどできやしない
僕はずっと桜んぼの季節を
心の奥の想い出もともに愛し続ける
[注]女性のコラ・ヴォケールも歌っている歌詞だが、クレマンがルイーズに捧げたものであり、「きれいな娘たちを避ける」などの表現も入っているので、「僕は」と男性の立場の訳語にした。
1 tousのsは発音する。en fête「浮き浮きした」
2 前行に準じた表現なので、du soleilの前にaurontが省略されている。 duは唯一物名詞につく部分冠詞。太陽の光、熱などの要素を示す。
3 桜んぼは二股に分かれていて、それを耳の上に掛けるようにして耳飾りにする。次行のcerises d'amourはdes pendants d'oreillesの言い換えで同格。
4 Dame Fortune「運命の女神」。en m'étant offerteは、受動態のジェロンディフで、意味的には譲歩をあらわす。

「連盟兵の壁」:AUX MORT DE LA COMUNE 21-28 Mai 1871と書かれています。
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