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2015
05.22

ああ!パリの美しき5月!Ah!le joli mois de mai a Paris!

Ah! Le joli mois de mai à Paris2


1968年5月のパリ。自由と平等と自治を掲げた約1千万人の労働者・学生がパリでゼネストをおこない、これに対する機動隊の武力的抑圧に抗議する民衆によって工場はストライキに突入し、フランスの交通システムはすべて麻痺状態に陥り、各大学もストライキに突入しました。当時のドゴール大統領は、軍隊を出動させて鎮圧しましたが、労働者の団結権、大学の学生による自治権が認められる結果となりました。
「ああ!パリの美しき5月!Ah!le joli mois de mai a Paris!」(1968年、作詞・作曲:ジャン=フレデリック・ブロサールJean-Frédéric Brossard別名Evgen Kirjuhel )は、この「五月革命Mai 68」の中で生まれた歌で、ヴァニア・アドリアン=サンスVania Adrien-Sensが歌い、「五月革命の歌Chansons de mai 68(副題:Comme nous les chantions ce printemps-là)」と題したCDに収録されています。

その後、日本のいくつもの大学でも、この「五月革命」に倣って学生たちが大学紛争を引き起こしました。加藤登紀子は、東大在学中から学生運動に積極的に参加していて、72年にブント系の「反帝学連」委員長の藤本敏夫と獄中結婚をしました。71年にこの歌を「美しき5月のパリ」という題名で日本語で歌っていますが、この曲に対する彼女の思い入れは深いものだったろうと推察します。
この曲は「俺たちの道は」という題名の日本語の歌詞でも歌われているようです。
私は69年に全共闘が占拠していた京都の大学を去り東京に出てきました。これは遠い昔の傷を思い起こさせる歌です。

フランス語の歌の動画は削除されてしまい、日本語のものしか無かったので、今回自分で作りました。(この音源は、歌詞の最初の1行が欠けています。)



Ah! Le joli mois de mai à Paris ! ああ!パリの美しき五月!
Vania Adrien-Sens           ヴァニア・アドリアン=サンス


J'ai vu les hommes matraqués
J'ai vu des femmes bousculées
J'ai vu des grenades claquées
J'ai entendu la foule hurler

  私は男たちが棍棒で殴られるのを見た
  私は女たちが突き飛ばされるのを見た
  私は手榴弾が炸裂するのを見た
  私は群集がわめくのを聞いた

{refrain :}
Ah! le joli mois de mai à Paris!
Ah! le joli mois de mai à Paris!

  ああ!パリの美しき五月よ!
  ああ!パリの美しき五月よ!

Ah! Le joli mois de mai à Paris ! 1


J'ai vu des rêves s'eveiller
J'ai vu la révolte gronder
J'ai vu les codes piétinés
Les drapeaux de la liberté

  私は理想が目覚めるのを見た
  私は反乱が拡大するのを見た
  私は法が踏みつけられるのを
  自由の旗を見た

{refrain}

J'ai vu le printemps nouveau-né
Se répandre dans les quartiers
J'ai vu partout le vent tourner
J'ai senti l'espoir se lever

  私は新しく生まれた春が
  街々に広がるのを見た
  私は風がいたるところを回るのを見た
  私は希望が湧き上るのを感じた

Ah! Le joli mois de mai à Paris ! 3


{refrain}

J'ai vu que la vie allait changer
J'ai vu la vérité bafouillée
La honte est là pour refluer
La sénilité s'en est allée

  私は人生が変わろうとしているのを見た
  私は真実がもごもごと語られるのを見た
  恥は存在し蘇えってくる
  古臭さは潰え去った

{refrain}

Et ientôt le jour va se lever
Sur les chantiers et ateliers
La révolte ressuscitée
Enterre le vieux monde décedé

  まもなく日が昇ろうとしている
  現場と仕事場に
  蘇った反乱が
  くたばった古い世界を葬る

{refrain}

Nous batirons une societé
Ou chacun libre et entier
Responsable de sa destinée
Et du sort de l'humanité

  おのおのが自由で完全に
  自分の運命と
  人類の運命に責任を持ち得る
  社会を僕たちは築きあげるだろう

Ah! Le joli mois de mai à Paris ! 2


Ah! le prochain mois de mai à Paris!
Ah! le prochain mois de mai à Paris!
Ah! le prochain mois de mai à Paris!
Ah! le prochain mois de mai à Paris!

  ああ!来たるべきパリの五月
  ああ!来たるべきパリの五月
  ああ!来たるべきパリの五月
  ああ!来たるべきパリの五月




追記
[注]に、「歌詞は、断片的な情報を元に自分で聴き取って補った…」と書いたが、
「断片的な情報」とは、具体的には、まず、①http://www.geocities.jp/jarastkyj/lejolie.htmを参照したのち、歌詞記述の形式がより明瞭な②http://www.antiwarsongs.org/canzone.php?lang=en&id=43250を参照した。ほかにも幾つかの記事を参照した。

後日、①のサイトに、②のサイトおよび私のブログの記事が、自分の記事を参考にしていると書かれていることを知った。たしかに歌詞原文に関しては参照させていただいたが、独自の方向性を持ったサイトと判断したため、参照した旨を明記することは差し控えた。私のブログはあくまでもシャンソン歌詞の紹介が目的であり、思想的な指向性とは距離を置きたいゆえである。そして今回、名指しで指摘された部分があり、その内容を確認して記事を訂正した。(2017年2月15日)

作詞はJean Edouard Barbeとしていたが、作詞・作曲ともにJean-Frédéric Brossardで、その別名はEvgen Kirjuhelだと判明し訂正した。
自分が聴き取ったのが不確かだった歌詞の部分も、音源の速度を落として聴きなおし、①に新たに書かれた歌詞を採用し訂正した(下線の部分)。


コメント
同じ世代なんですね。
> 当時私は全学ストライキの中にいた一般学生でした.
私も同じ立場でしたが、同時に失恋もしたもので、大学を去ることにしました。
その後、学業を中断したツケを返すことになり、50過ぎてから勉強し直しています。
ちょっとがまんして卒業していたら、と思うこともあります…。
朝倉ノニーdot 2017.12.25 10:17 | 編集
>私は69年に全共闘が占拠していた京都の大学を去り東京に出てきました。これは遠い昔の傷を思い起こさせる歌です。
そうだったのですか.
当時私は全学ストライキの中にいた一般学生でした.
北原真夏dot 2017.12.23 22:53 | 編集
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