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2015
02.12

青色のジャヴァLa java bleue

La java bleue


今回はシャンソンの古典ともいうべき「青色のジャヴァLa java bleue」(作詞:ヴァンサンスコットVincent Scotto、作曲:ジェオ・コジェとノエル・ルナールGéo Koger & Noël Renard) 。1938年に作られ、今も世界中で歌われています。
これを歌ったフレエルFréhelは1891年にパリで生まれ、二つの大戦の間の時代に現実派シャンソンの中心的存在として活動しました。映画「ゲンズブールと女たちGainsbourg, vie héroïque」に、フレエルが出てきましたが、実際に、ゲンズブールが子供の頃に、フレエルに会ってカフェでおごってもらったというエピソードがあるそうです。彼女は15歳のとき、化粧品の訪問販売をしていて、大物歌手ラ・ベル・オテロ(高級娼婦だったともいわれます)にその大胆な態度と独特の声を認められて「つるにちそうPervenche」という名前で歌手としてデヴューしました。1907年に、ミュージック・ホールのスターで歌の教師だった男と結婚し子供が生まれますが、その子が幼くして亡くなり、男はダミアDamiaのもとに走ります。二人は1910年に離婚。そのあと、彼女は新進歌手のモーリス・シュヴァリエMaurice Chevalierと短いあいだ関係を持ちますが、彼は大物スターのミスタンゲットMistinguettを選んでしまいます。その苦しみから、まだ19歳だった彼女は自殺を図りますが果たせず、革命前夜のロシア、ブルガリア、オーストリア、トルコなどを放浪します。
1923年に、アルコールとコカインでぼろぼろになり、やたら肥満した姿でパリに戻ってきます。そして、フレエルFréhel と名前を変えて再出発を試み、1924年にオランピアで「忘れられない、忘れられていないフレエルInoubliable et inoubliée Fréhel」と題したカムバック公演をおこないます。みごと復帰を果たしたフレエルは、歌手としての活動を展開しながら、1930年代には、映画にもたびたび出演します。しかし、1935年の再婚も長続きせず、アルコールとコカインの中毒が克服されていないフレエルは、しだいに泥酔した姿を人前にさらすことも多くなり、友人の情けにすがって生きるようになりました。そして1951年、パリ市内のホテルで、ひとり孤独にその生涯を閉じました。



出演した映画「望郷Pépé le Moko」では、フレエルは、忘れられ落ちぶれた歌手タニアを演じています。かつての自分の曲を蓄音機で聴いているシーンがありますが、その曲はフレエル自身が1927年にレコーディングした「モンマルトルの挽歌Où est-il donc?」。タニアはフレエル自身の姿そのものです。



パトリック・ブリュエルPatrick Bruelは、二つの大戦の間、そして二人で歌うという二重の意味を込めた題名の「二つの間Entre deux」というアルバムを出していて、この曲もそれに収録されています。お勧めのアルバムです。



La java bleue 青色のジャヴァ
Fréhel      フレエル


{Refrain:}
C'est la java bleue, 注1
La java la plus belle,
Celle qui ensorcelle
Et que l'on danse les yeux dans les yeux
Au rythme joyeux,
Quand les corps se confondent
Comme elle au monde
Il n'y en a pas deux,
C'est la java bleue.

 これが青いジャヴァ、
 もっとも美しいジャヴァ、
 楽しいリズムに乗って
 見つめ合って踊るとき
 ひとを魔法にかける
 そのとき二人の身体は一つになる
 こんなものは世界に
 二つとないわ、
 これが青いジャヴァよ。

La java bleue2


Il est au bal musette 注2
Un air rempli de douceur
Qui fait tourner les têtes,
Qui fait chavirer les cœurs.
Tandis qu'on glisse à petits pas, 注3
Serrant celle qu'on aime dans ses bras,
Tout bas l'on dit dans un frisson,
En écoutant jouer l'accordéon.

 ミュゼットのダンス・ホールには
 優しさに満ちたメロディーが流れ
 それは頭をくらくらさせ、
 心を揺さぶる。
 愛しいひとを腕に抱いて
 細かくステップを踏んで踊っているあいだ、
 アコーディオンが歌うのを聴きながら、
 震える声で彼女にささやく。

Chérie, sous mon étreinte
Je veux te serrer plus fort
Pour mieux garder l'empreinte
Et la chaleur de ton corps.
Que de promesses, que de serments
On se fait dans la folie d'un moment,
Mais ses serments remplis d'amour
On sait qu'on ne les tiendra pas toujours.

 「愛しい人、僕の腕のなかに
 君をもっと強く抱きしめたい
 君の身体の跡形と
 熱気をも少しとどめ置くために。」
 一時の熱情のため、
 どれほどの約束、どれほどの誓いを
 人は交わすのだろう、
 でもその愛に満ちた誓いを
 いつまでも保てはしないことをひとは知っている。

La java bleue1


{au Refrain}

Comme elle au monde
Il n'y en a pas deux,
C'est la java bleue.

  こんなものは世界に
  二つとないわ、
  これが青いジャヴァよ。

[注]
1 javaは、20世紀初頭に流行した3拍子の大衆的なダンス、またそのダンス音楽。具体的には、男が女のお尻に手を回し、体を密着させて踊る一種のチーク・ダンス。 bleueは「美しい」というニュアンスで用いられているようだ。
2 Il est=Il y a
musetteは元来、オーヴェルニュ地方で使われていたバグパイプ、キャブレに与えられていた名前。のちにはアコーディオンがそれにかわるが、この歌詞でも、2節目の最後に、アコーディオンの演奏とある。ミュゼットやアコーディオンで演奏される3拍子の音楽もミュゼットと呼ばれ、それにポーランドのマズルカが融合して生まれたのがジャヴァだという。
le bal musette「ミュゼット伴奏で踊るダンス・ホール」。オーベルニュ地方からパリに出稼ぎに来ていた労働者達が、週末にミュゼット伴奏でのダンスパーティーを催したのが、バル・ミュゼットの始まりだといわれる。
3 à petits pas「小さな歩幅で」。身体を密着させて踊るので、ステップの歩幅が小さくなる。



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