fc2ブログ
2022
01.19

16歳よさようなら(哀しみのソレアード)On ne vit pas sans se dire adieu

Mireille Mathieu On ne vit pas sans se dire adieu


(「哀しみのソレアード」の原曲は14世紀のイタリアの曲「ソレアードSoleado」であると書いておりましたが、コメントをいただき調べ直し、加筆訂正いたします。)「哀しみのソレアード」のメロディーは1972年にイタリアのチロ・ダンミッコCiro Dammiccoが作った曲:Le rose bluに基づいています。1974年にダンミッコはダリオ・バルダン・ベンボDario Baldan BemboとともにこれをSoleadoというインストゥルメンタル曲にアレンジし、ダンミッコの所属するダニエル・センタクルス・アンサンブルDaniel Sentacruz Ensembleが演奏し大ヒット曲となりました。そのLe rose bluの原曲は14世紀のイタリアのアントニオ・ザッカーラ・テラーモAntonio Zaccara da Teramoが作曲したという記述が数多く見られますが確証は見出せません。ZaccaraはZacarとも表記されますので、ダンミッコが用いるザカールZacarというペンネームはそれに倣ったものかとも思われますが。
Soleadoはその後、各国で新たな歌詞で歌われるようになりました。英語では「子供が生まれる時When A Child is Born」というキリスト降誕を祝うクリスマスソングとなり、ジョニー・マティスJohnny Mathisやサラ・ブライトマン Sarah Brightmanなどが歌いました。
そしてフランス語では、ミレイユ・マチュウMireille MathieuがOn ne vit pas sans se dire adieuというタイトルで歌い、1975年にシングル・リリースされました。「ひとは別れの言葉を交わさずに生きることはない」つまりは「生きていく以上、別れはつきものだ」という意味のタイトルで、16歳の女の子が、恋人と別れさせられた、恋人に別れを告げられたという受け身な事態を乗り越え、人生行路をさらに進むための過程として自ら恋人に別れを告げるという精神的な成長を表わす歌詞内容です。
「哀しみのソレアード」という邦題で呼ばれていますが、Soleadoとは「日当たりのいい」という意味のスペイン語で、それに「哀しみの」という、日が陰るような修飾語が付いています。過去の辛さや哀しみと決別して「日の当たる」場所へ向かうということでしょうか。マチュウの原題の直訳は邦題にしにくいので、歌詞内容から「16歳よさようなら」という新たな邦題を作り、「哀しみのソレアード」を副題にいたしましょう。イソップ寓話の「北風と太陽」は、北風と太陽の力比べですが、旅人側の選択としては、北風に耐えて自分をガードするのではなく、太陽の当たるところに身を置いて重いコートを脱ぐことを選ぶということになるかなと。

チロ・ダンミッコCiro Dammiccoの「青いバラLe rose blu」



ダニエル・センタクルス・アンサンブルDaniel Sentacruz Ensembleの「哀しみのソレアードSoleado」



ミレイユ・マチュウMireille Mathieu



On ne vit pas sans se dire adieu  16歳よさようなら(哀しみのソレアード)
Mireille Mathieu           ミレイユ・マチュウ
 

On ne vit pas sans se dire adieu
On ne vit pas sans mourir un peu
Sans abandonner pour aller plus loin
Sur son chemin quelque chose ou quelqu'un

 ひとは別れの言葉を交わさずに生きることはない
 ひとは身を削るような思いもせずに生きることはない
 人生行路をさらに進むためには何かを誰かを諦めずには

Je suis venu pour te dire adieu 注1
Un souvenir, meurt toujours un peu
J'ai voulu savoir, ce qu'il m'a resté
Du seul amour, qui ait pu compté

 私はあなたに別れを告げるために来たの
 ひとつの思い出は、常に少しずつ褪せるもの
 貴重だったかもしれない唯一の愛の名残として
 私に残ったものを、私は知りたかったの

On ne vit pas1


Je suis venu pour te dire adieu
Ou si tu veux, adieu à nous deux
Comme le jour, où tu m'as fait pleuré
En me disant adieu à jamais

 私はあなたに別れを告げるために来たの
 あるいは、あなたが望むなら、私たち共々への別れを
 私に永遠の別れを告げて
 あなたが私を泣かせた日のように

{Partie parlée : }
Oh ce n'était pas ta faute, je le sais
Je sais tout ce qu'il allait se passer, allez 注2
Ton père et tout ce qu'il a pu te dire
Tes études à finir, ton service, ton avenir
Et puis cette fille n'est pas pour toi
Aujourd'hui tu es une autre 注3
Tout est qui finit bien, quand 注4
Mais qu'est-ce que j'ai pu t'aimer toi 注5
J'avais seize ans, seize ans seize ans

 [語り]
 ああ、それはあなたのせいじゃなかった、それは分かっているわ
 起ころうとしていたことはすべて分かっている、そうよ
 あなたのお父さんとあなたにおっしゃっただろうことをすべて
 「終わらせなきゃならないお前の学業、お前の兵役、お前の将来
 だから、この女の子はお前には向かない
 今や、お前は別者だ
 終わりよければすべてよしだ」と、なら
 いったい、あなたをどう愛せたというの、あなたを
 私は16歳だったのよ、16歳よ16歳よ

On ne vit pas2


On ne vit pas sans se dire adieu
On ne vit pas sans mourir un peu
J'ai voulu arrêter le temps
Le temps de dire, adieu mes seize ans

 ひとは別れの言葉を交わさずに生きることはない
 ひとは身を削るような思いもせずに生きることはない
 私は時間を止めたかった
 「さようなら私の16歳」と言うための時間を

J'ai voulu dire, adieu mes seize ans
Avant d'aller, vers ce qui m'attend

 言いたかったの、「さようなら私の16歳」と
 私を待っているものへと向かう前に

[注]
1 venir+inf.「(…しに)来る」を、目的を強調するため、venir+pour+inf.としている。
2 allez間投詞「さあ、ほら、まったく」
3 主語のtuは男性なのにune autre が女性形なのは、女性名詞のpersonneが省略されている。
4 Tout est (bien) qui finit bien慣用句で「終わりよければすべてよし」
5 qu'est-ce que「どのように、どれだけ」



コメント
ご指摘ありがとうございました。調べ直し、記事を加筆訂正いたしました。今後またお気づきの点がありましたらよろしくお願いいたします。
朝倉ノニーdot 2022.03.01 08:37 | 編集
シャンソンへの造詣の豊かさに惹かれて貴ブログをときどき拝読している者です。
>「哀しみのソレアード」の原曲は14世紀のイタリアの曲「ソレアードSoleado」です。
と記事冒頭にございますが、この点について意見を述べたくコメントいたした次第です。

この歌の原曲は14世紀の歌ではなく、イタリアのミュージシャンのチーロ・ダンミッコが1972年に制作した楽曲『Le Rose Blu』です。
ダンミッコは1974年にダニエル・センタクルツ・アンサンブルに参入しています。『Soleado』はそこで『Le Rose Blu』をアレンジしてヒットを見たものであって、古曲の編曲ではありません。
もし『哀しみのソレアード』に関して「Zacar」という名前をご覧になったのでしたら、これはダンミッコのペンネームです。14世紀のイタリアの音楽家アントニオ・ザッカーラ・ダ・テーラモとは偶然名前が一致しただけです(ダンミッコが彼に肖ってペンネームに用いたということは勿論考えられます)。

あまり広まっていない知見ですが、多少なりともブログ主様のご理解を頂けましたら幸いです。
C.P.dot 2022.02.27 16:42 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top