
エンリコ・マシアスEnrico Maciasの「恋心L'amour c'est pour rien」のページに書きましたが、マシアスは1938年にアルジェリアで生まれたユダヤ人歌手で、アルジェリア戦争の終わる前年に家族でアルジェリアを離れ、パリに移り住み、戦争終結後の1962年から活動を始めました。
今回ご紹介するのは1980年の「僕の子供の頃のフランスLa France de mon enfance」です。作詞:ディディエ・バルブリヴィアンDidier Barbelivien、作曲:エンリコ・マシアス。「わが心のフランス」という邦題もあるようですが直訳の邦題にいたしました。Franceに定冠詞のlaを付けているのは特別の意図が伺えますが、そのフランスとは彼が生まれ育った「フランス領アルジェリアAlgérie française」のことで、1830年から1962年までフランスの支配下にありました。第二次世界大戦中の1942年以降は反ヴィシー政権の拠点となり、シャルル・ド・ゴールを首班とするフランス共和国臨時政府も首都アルジェで結成されました。実際、「もうひとつのフランス」といってもいい場所だったのです。それが彼にとっての母国でした。1962年独立後のイスラム系社会主義国である「アルジェリア民主人民共和国République algérienne démocratique et populaire الجمهورية الجزائرية الديمقراطية الشعبية」、その名前は聞きなれない名nom étrangerだと今回の曲の歌詞にあります。「恋心L'amour c'est pour rien」は、フランスからのアルジェリア独立を喜ぶ「祖国への恋心」だとそのページに書きましたが、今回この曲を知り、それはちょっと違うんじゃないかと気づき訂正いたしました。
1980年に、当時国連事務総長だったクルト・ヴァルトハイムKurt Waldheimより「平和の歌手」という称号を贈られ、1985年には、レジョン・ドヌール勲章を受賞しました。そして1997年に、人々の間の平和と連帯などの普遍的な価値観への彼の愛着が評価され、国連事務総長のコフィ・アナンKofi Annanに、「平和と子どもたちの擁護を促進するための巡回大使」に任命されました。そんなマシアスのグローバルな視点は、カトリック教徒、ユダヤ人、イスラム教徒が共存する世界であった「子供の頃のフランス」で培われたものなのでしょう。
パトリック・ブリュエルPatrick Bruelもフランス領アルジェリア生まれ
La France de mon enfance 僕の子供の頃のフランス
Enrico Macias エンリコ・マシアス
La France de mon enfance
N'était pas en territoire de France
Perdue au soleil du côté d'Alger
C'est elle la France où je suis né
僕の子供の頃のフランスは
フランスの国土ではなかった
アルジェ辺りの太陽の下に紛れていた
それは僕が生まれたフランスだ
La France de mon enfance
Juste avant son rêve d'indépendance
Elle était fragile comme la liberté
La France, celle où je suis né
僕の子供の頃のフランス
その独立の夢の実現直前
彼女は自由のように脆弱だった
僕が生まれたところ、フランスは

Le soleil n'était pas celui de Marseille
Ma province n'était pas ta Provence 注1
Je savais déjà que rien n'était pareil
Et pourtant mon coeur était en France
太陽はマルセイユの太陽ではなかった
僕の田舎は君のプロヴァンスではなかった
僕はすでに何も同じじゃことを知っていた
だが僕の心はフランスにあった
La France de mon enfance
Mon pays ma terre ma préférence
Avait une frontière Méditerranée
C'est elle la France où je suis né
僕の子供の頃のフランス
僕の国、僕の土地、僕のお気に入りは
地中海という国境を持っていた
それは僕が生まれたフランスだ
La France de mon enfance
N'avait pas tous ces murs de silence
Elle vivait en paix sous les oliviers
La France, celle où je suis né
僕の子供の頃のフランスは
こうした沈黙の隔壁をまったく持たなかった
オリーブの木の下で平和に暮らしていたんだ
僕が生まれたところ、フランスは

On avait l'accent d'une région lointaine
On était perdu comme en Lorraine 注2
A l'école, on apprenait la différence
Mais c'était la même histoire de France
僕たちには僻地の訛りがあった
僕たちはロレーヌにいるかのように迷子になった
学校で、僕たちは違いを学んだ
だが、それはフランスの同じお話だった
La France de mon enfance
Par amour, par désobéissance
Son prénom était un nom étranger
C'est elle la France où je suis né
僕の子供の頃のフランス
愛ゆえに、不従順ゆえに
彼女の名前は聞きなれない名となった
それは僕が生まれたフランスだ
La France de mon enfance
Moi je pleure encore de son absence
Elle était française, on l'a oublié 注3
La France, celle où je suis né
子供の頃のフランス
僕は彼女の不在をいまだに嘆く
彼女はフランス人だった、ひとはそれを忘れた
僕が生まれたところ、フランスは

[注]
1 province「州、地方」とProvence「プロヴァンス」は語呂合わせ。後者は南フランスの南東部を占める地方。前行のMarseille「マルセイユ」はその最大の港湾都市。
2 Lorraine「ロレーヌ」はドイツとフランスの間の十字路にあたり,長年両国の係争地となった。第2次世界大戦中(1940~44年)は全域がドイツの占領下にあった。
3 Elle était française「彼女はフランス人だった」。elle「彼女」すなわちla France「フランス」を擬人化してfrançaise「フランス人女性」だったと表現している。
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