
ジョルジュ・ムスタキGeorges Moustakiの「ガスパールGaspard」は、ポール・ヴェルレーヌPaul Verlaineの1881年の詩集「叡智Sagesse」のなかの「わたしはおとなしい孤児としてJe suis venu calme orphelin」の詩にムスタキが曲をつけたものです。
カスパー・ハウザーKaspar Hauser(1812年?-1833年)と名乗る16歳くらいの少年が、1828年にニュールンベルグで、言葉も話せない孤児として見いだされました。市当局の保護下で法学者、神学者、教育学者たちによりさまざまな検査や教育が試みられて、彼が長期にわたり孤独な状態で地下の監獄に囚われていたらしいこと、特異な感覚能力の持ち主であることなどが判明し、たいへん注目を集め、彼の出自に関してさまざまな憶測や調査がなされました。彼は謎を残したまま暗殺されますが、彼に関する専門の研究書が複数出版され、文学、楽曲など様々なジャンルでもテーマとして取り上げられました。(参照→ウィキペディア)
Kasparは東方の三博士の1人カスパール(Caspar)に由来する名前で、フランス語ではGaspardに置き換えられます。ヴェルレーヌの詩には「ガスパール・ハウゼルが歌うGaspard Hauser chante 」という題辞がつけられており、最後に「この哀れなガスパールのために祈って」とありますので、曲名は「ガスパールGaspard」とされました。1969年のアルバム:Le Métèqueに収録されています。
ちなみに、「夜のガスパール:Gaspard de la nuit」というラヴェルMaurice Ravelのピアノ組曲は、ルイ・ベルトランLuis Bertrand(雅号:アロイジウス Aloysius )の同名の遺作詩集の3篇の散文詩をもとにして1908年に作曲された曲ですが、この詩集の執筆は1936年(出版は1942年)で、カスパー・ハウザーの事件が知られていた時代です。しかし、このガスパールは別人で、マルセル・カルネMarcel Carnéの1945年の映画「天井桟敷の人々Les enfants du Paradis」の主人公で、ピエロのキャラクターを確立したパントマイムの創始者、ジャン=ガスパール・ドビュローJean-Gaspard Deburau(1796-1846)です。
セルジュ・レジアーニSerge Reggiani
Gaspard ガスパール
Georges Moustaki ジョルジュ・ムスタキ
Je suis venu calme orphelin
Riche de mes seuls yeux tranquilles
Vers les hommes des grandes villes
Ils ne m'ont pas trouvé malin...
僕は無口な孤児としてやって来た
大都会の人々に向ける
沈着な両目のみに恵まれて
彼らは僕を船乗りとは見なかった…

À vingt ans un trouble nouveau
Sous le nom d'amoureuse flamme
M'a fait trouver belles les femmes
Elles ne m'ont pas trouvé beau...
二十歳になれば新たな厄介事が
恋の炎の名のもと
女性たちの美しさを
僕に見出させる…
Bien que sans patrie et sans roi
Et très brave, ne l'étant guère 注
J'ai voulu mourir à la guerre
La mort n'a pas voulu de moi...
国も王も持たないのに
しかもいたって勇敢、でもまるでなかったのに
僕は戦いで死ぬことを望んだ
死のほうは僕を望まなかった…

Suis-je né trop tôt ou trop tard ?
Qu'est-ce que je fais dans ce monde ?
Oh ! vous tous ma peine est profonde
Priez pour le pauvre Gaspard...
...Gaspard
僕は生まれるのが早すぎたのか遅すぎたの?
この世で僕は何をしているんだ?
おお!皆さん、僕の苦しみは深い
この哀れなガスパールのために祈ってやって…
…ガスパールのために
[注] ne...guère「あまり…ない」。l'étantのleはその前のtrès brave。
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