
Milva&Astor Piazzollaと題された、1984年のパリ公演および1988年の東京公演で、ミルヴァがピアソラの伴奏で歌った曲のなかでフランス語歌詞の曲は、「忘却J'oublie(Oblivion)」「チェ・タンゴ・チェChe tango che」「ブレヒトとブレルの間でEntre Brecht et Brel」はすでに取り上げましたが、あと1曲残っていました。「孤独の歳月Années de solitude」です。作曲:アストル・ピアソラAstor Piazzolla、作詞はフランスのシンガー・ソングライター:マキシム・ル・フォレスティエMaxime Le Forestier。
ミルヴァ自身がピアソラのことを歌っているような歌詞内容ですが、タイトルは、コロンビアのガブリエル ガルシア=マルケスGabriel Garcia Marquezの小説「百年の孤独Cien Años de Soledad」(1967年。スペイン語。1982年にノーベル文学賞を受賞)を、南米の地というつながりでもじっているらしく、cent années de solitude(百年の孤独)という言葉自体が歌詞中に組み込まれています。
Années de solitude 孤独の歳月
Milva ミルヴァ
Pas d’autre chance n’est donnée
chantait l’américain du sud
Aux fils des lignées condamneées
A cent années de solitude
二度とはない機会に
その南米の男は歌った
百年の孤独の刑を
宣告された血筋の子孫たちに
Quand il pleurait ses tangos dans les bars
Et que j’avais si soif
Décrépitude
Une taffe 注1
Et un qualude 注2
Une bière
Et va dormir
Chez mes souv’nirs
Tout l’monde se sauve
J’enterre
Tout c’que je sais, sauf
彼が酒場で自作のタンゴを泣くように歌うとき
そして私が、喉が渇ききって
老いさらばえているとき
タバコを一吹き
睡眠薬を一錠
ビールを一杯
それで眠り込むわ
想い出に包まれて
世界はすべて姿を消し
知るかぎりのものを
私は葬り去り、残すのはただ

Un bandonéon qui m’attend
Entre la mort et l’inquétude
Et me dit qui vivra cent ans
Vivra cent ans de solitude
バンドネオンだけ、それは私を待っているわ
死と不安のあいだで
そして私に問うの、誰が百年を生きるだろうか
孤独の百年を生きるだろうかと
Longues les nuits
Sans les bras autour
Longue la vie
Sans amour
Longue est l’année qui passe
Sans passer par le cœur
夜は長い
抱いてくれる腕が無いなら
人生は長い
愛が無いなら
過ぎゆく歳月は長い
心を通りゆかないなら
Longs les jours
Sans tendress à faire
Plutôt que manger la terre
Tourner autour
日々は長い
施す優しさが無ければ
大地を味わうというよりむしろ
その周りを回っているだけよ

Au premier chien de mer 注3
Que je trouve en partance
Qu’il m’emmène à Buenos-Aires
Un soir de danse
出航時に最初に出会う
サメに願うわ
ブエノスアイレスに私を連れてって
ダンスの夜にと
Là je retrouverai
L’américain du sud
Pour un tango j’oublierai
Cent ans de solitude
そこで私は
その南米の男と再会するでしょう
1曲のタンゴで
私は百年の孤独を忘れるでしょう

[注]
1 taffe=bouffée de cigarette「タバコの一吹き」
2 qualude「クオルード」メタカロンMethaqualone、マンドレックスMandraxなどの商品名で売られている鎮痛・催眠剤。
3 chien de mer「海の犬」という意味だが鮫の一種の別称。1979年にピアソラは、ヴァイオリン奏者フェルナンデス・スアレス・パスFernando Suarez Pazのために「鮫Escualo」という曲を書いている。また、映画「ピアソラ 永遠のリベルタンゴPiazzolla, los anos del tiburon」で、ピアソラは、1979年からの3年間の休業期間を「サメの時代」と呼び、サメ釣りを趣味としていたことを述べている。
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