
一昨日、映画「ピアソラ 永遠のリベルタンゴAstor Piazzolla inédito/Piazzolla, The Years of the Shark」を見ました。最終日でやたら混んでいました。アストル・ピアソラAstor Piazzollaに関心のある人がこれほどいたとは…。一人の人間としてピアソラを捉えたドキュメンタリー映画なわけですが、ミーハーならぬミーバーの私としてはただただ、片膝に乗せたバンドネオンを演奏しているピアソラのかっこよさにゾクゾクするばかりでした。慾を言えば、曲名を逐一テロップで出して欲しかったなと。邦題の「リベルタンゴ」とは1974年の彼の名曲の曲名Libertangoで、libertad「自由」とtango「タンゴ」と合わせた造語。ピアソラのタンゴ革命そのものを表します。
ピアソラの曲でフランス語で歌われている曲はこのブログですでにいくつか取り上げています。「忘却J'oublie(Oblivion)」「チェ・タンゴ・チェChe tango che」「ブレヒトとブレルの間でEntre Brecht et Brel」です。また、ピアソラへのオマージュであるクロード・ヌガロClaude Nougaroの「ヴィー・ヴィオランスVie violence」も。
「ピアソラ音の出る図書館」というブログに、ピアソラとその音楽に関する情報が多く載せられていますので、興味のある方はご覧下さい。
その名曲Libertangoにフランス語の歌詞をつけて、1975年にギィ・マルシャンGuy Marchandが歌いました、Moi, je suis tango, tangoというそのタイトルは、直訳すると「僕はタンゴだ、タンゴだ」ということになりますが、邦題は原曲通りの「リベルタンゴ」といたします。ギィ・マルシャンは「運命Destinée」という曲を先に取り上げています。
1981年にグレイス・ジョーンズGrace JonesがI've Seen That Face Beforeというタイトルで英語で歌いました。
そして2007年にはジュリー・ゼナッティJulie Zenattiもフランス語で(Tango) Princesseというタイトルで歌っています。
Moi, je suis tango, tango リベルタンゴ
Guy Marchand ギィ・マルシャン
{Refrain :}
Moi je suis tango, tango
J'en fais toujours un peu trop
Moi je suis tango, tango
Je ne connais que des rimes en o 注1
Moi je suis tango, tango
J'ai cette musique dans la peau
Moi je suis tango, tango
Elle me glace jusqu'aux os 注2
Moi je suis tango, tango
Je l'étais dans mon berceau
Moi je suis tango, tango
Je le serai jusqu'au tombeau
Moi je suis tango, tango
Toutes les femmes sont des roseaux 注3
Moi je suis tango, tango
Que je plie dans un sanglot 注4
僕はタンゴ、タンゴ
いつもちょっとやりすぎさ
僕はタンゴ、タンゴ
Oで韻を踏むことしか知らない
僕はタンゴ、タンゴ
この音楽を皮膚の内側に持つ
僕はタンゴ、タンゴ
この音楽は骨の髄まで僕を凍らせる
僕はタンゴ、タンゴ
揺りかごにいた時からそうだった
僕はタンゴ、タンゴ
墓に入る時までそうだろう
僕はタンゴ、タンゴ
女たちはみんな葦だ
僕はタンゴ、タンゴ
嗚咽のうちに手折る葦だ
{Refrain}

J'aime...
Dire "je vous aime" 注5
Même...
Si c'est un blasphème
J'aime dire
"Je t'aimerai toujours"
Même si...
Ça ne dure qu'un jour
僕は…
言いたい「あなたを愛している」と
たとえ…
もしもそれが冒涜だとしても
僕は言いたい
「君をずっと愛すだろう」と
たとえもしも…
それが1日しか続かなくても
Même si...
Je n'ai jamais eu d'humour
Il ne m'en faut pas
Pour te faire l'amour
Je te serai
Toujours fidèle
Comme je le suis
A Carlos Gardel 注6
たとえもしも…
僕にまったくユーモアのセンスがなくても
君を愛するのに
そんなの必要ない
僕は君にいつも貞節だろう
カルロス・ガルデルに対して
そうであるように
{Refrain×2}

[注]
1 tangoを含め、ルフラン部分はすべて‘O’で韻を踏んでいる。
2 elleは前々行のcette musique。すなわちtangoのことだが、tangoは男性名詞。
3 roseau「葦」。フランスの哲学者、自然哲学者であったブレーズ・パスカルBlaise Pascalの「パンセPensées」(1670年)に書かれていた有名な言葉は人間を葦に例えている。L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature; mais c’est un roseau pensant. 「人間はひとくきの葦にすぎず、自然の中で最も弱いものである。しかし、考える葦である」これは、人間は葦のようにひ弱なものであるが、考えるという点で優れている」という事を示している。
4 queの先行詞は前々行のdes roseaux。繰り返されるMoi je suis tango, tangoはいわば合いの手で、それ以外の部分が文脈的につながっている。
5 ピアソラの立場に立った歌詞で、ルフランでは自分がタンゴそのものだと言い、ここでは、vous「あなた」tu「君」すなわちタンゴに愛を語っている。…と解釈する。
6 Carlos Gardel「カルロス・ガルデル」(1890年-1935年)は不世出のタンゴ歌手として知られるアルゼンチンの歌手・作曲家・俳優で、その人気の絶頂期に飛行機事故で急逝した。ここでは昔からのタンゴの代名詞として彼の名を出している。代表曲「想いの届く日El día que me quieras」は彼の末年1935年に主演した同名の映画の主題曲として彼が作曲したが、その映画に少年の頃のピアソラが端役で出演している。

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