
今回はシャルル・トレネCharles Trenet の「ベジエの奥方La dame de Béziers」。マドリガル風の魅力的な曲です。トレネ自身が作り1966年のアルバムÀ mi-cheminに収録されました。
Béziersは南仏にある都市で、そのシンボルともされるサン・ナゼール聖堂La cathédrale Saint-Nazaireは、高台に立つ大きな建造物で、その南東に位置するトレネの故郷ナルボンヌNarbonneからも望むことができるそうです。その姿を見て、この曲を思いついたのかもしれませんね。

動画はあらたに作りました。
La dame de Béziers ベジエの奥方
Charles Trenet シャルル・トレネ
La dame de Béziers,
Qui courait en voiture,
A perdu ses guipures,
Son mannequin d'osier.
Elle a perdu son charme
Et de ses yeux si beaux
Coulent parfois des larmes
Mouillant ses oripeaux.
ベジエの奥方は、
乗物に乗って走っていて、
レースのショールと、
柳のマネキン人形をなくした。
彼女は色香をなくし
そのとっても美しい瞳は
ときおり涙を流す
金ぴか衣装を濡らしつつ。
La dame de Béziers
Fut jadis grande Dame.
Au château Montosier, 注1
Elle avait charge d'âmes 注2
Mais d'un page rieur 注3
Elle eût une embrassade,
Un jour que son Seigneur
Partait à la Croisade.
ベジエの奥方は、
かつてはれっきとした奥方だった。
モントジエの城で、
彼女は人々の面倒を見ていた
だが一人の陽気な小姓の
抱擁を彼女は受けた、
彼女のダンナが
十字軍に出兵したある日のこと。

Quand il revint après
Trente cinq ans de guerre, 注4
Il l'a vit de plus près
Et ne l'aima plus guère :
Du page elle avait pris
Les allures martiales
Et le Seigneur compris
Qu'il y avait là du mal.
35年間の戦争ののち
彼が帰って来たとき、
彼女をより仔細に観察し
そしてもう彼女を愛さなくなった:
その小姓のことでは彼女は
好戦的な態度をとっていた
それでダンナには分かるのさ
まずい事態が起こっていたことが。
Elle gagnait tournoi
Et Jugement de Dieu. 注5
Elle avait dans la voix
Quelque chose de vieux.
Alors, il l'a quitta
Retournant en croisade
Et depuis ce temps-là,
On dit, en embuscade
彼女は戦いに勝ち
そして神明裁判をくぐり抜けた。
彼女は声に
なにかしらの老いを伴っていた。
そして、彼は彼女のもとを去り
十字軍に戻った
そしてその時以来、
どうやら、落とし穴に嵌ったんだ

On dit : "dame de Béziers
Eut de belles années."
A présent, il lui sied
D'être presque fanée.
A présent, il lui sied
De recevoir sans cesse
Visite de l'Huissier,
Dont les exploits la blesse.
「ベジエの奥方は
しあわせな歳月を過ごした。」らしいが
今では、彼女には似つかわしくなった
ほとんど色褪せた姿が。
今では、彼女には似つかわしくなった
差押え執行官の訪問を
たえず受けることが、
彼らの令状が彼女を痛めつける。
La dame de Béziers,
Qui courait en voiture,
Se perd dans la nature,
S'en va dans les fraisiers.
Seule a présent sans garde
Et sans page fripon,
Elle vit en clocharde
Et couche sous les ponts.
ベジエの奥方は、
乗物に乗って走っていて、
自然のなかでわれを忘れ、
イチゴ畑のなかにつっこんだ。
今はただ一人お供も伴わず
好色な小姓も伴わず、
彼女はルンペン生活を送り
橋の下で眠る。

[注]
1 le château Montosier「モントジエ城」という名は検索したが見当たらない。Montosierという姓は18世紀頃の人名が幾つかヒットした。語源的にはmont(山)+osier(柳)だろう。
2 avoir charge d'âmes「魂を救済する義務がある、人の面倒をみなければならない」
3 pageは「ページ、頁」ではなく、「(王侯貴族に仕える)小姓」
4 Croisade「十字軍」。これは、短期間の出兵が何度か行われたキリスト教による対イスラム遠征軍ではなく、キリスト教の異端に対する遠征軍であるアルビジョワ十字軍Croisade des Albigeois(1209年 - 1229年)だと思われる。ウィキペディアによると、南フランスで盛んだった異端アルビ派(カタリ派)を征伐するために、ローマ教皇インノケンティウス3世が呼びかけた十字軍。35年の戦い、そして再び十字軍に戻ったと歌詞には書かれているが、これがアルビジョワ十字軍のことだとすると、1229年の終結後も、1255年まで何度かアルビ派が蜂起し鎮圧が行われたので、それも含めてのことかもしれない。
5 大文字のJugementは通常は「最後の審判」の意味。jugement de Dieuは、中世に行われた「神明(しんめい)裁判」。すなわち、鉄火・熱湯・くじなどを用い、正しければ神の加護により罰を受けないとした裁判を言う。
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