
今日、4月26日はフランス国歌「ラ・マルセイエーズLa Marseillaise」の誕生日です。フランス革命政府がオーストリアへ宣戦布告したという知らせがストラスブールに届いた1792年4月25日から翌26日の夜にかけて、市長の要望で、当地に駐屯していた工兵大尉ルージェ・ド・リールClaude Joseph Rouget de Lisleが、出征する部隊を鼓舞するために、一夜にして作詞・作曲したとされます。それがフランス国歌とされるに至った経緯も含め、詳しくは、ウィキペディアの「ラ・マルセイエーズ」の記事をご覧下さい。歌詞全文とその邦訳も掲載されています。
ミレイユ・マチューMireille Mathieuの歌う「ラ・マルセイエーズ」
セルジュ・ゲンズブールSerge Gainsbourgは1979年に、エトセテラという表現を用いこの曲をはしょってレゲェ・ヴァージョンにした「武器を取れエトセテラAux armes et caetera」を作って歌い、たいへん物議をかもしました。右翼や軍部関係者の反発は相当なもので、フランス空軍パラシュート部隊の有志たちにより国歌誕生の地であるストラスブールでのコンサートは阻止され、ファンたちとパラシュート部隊とのにらみ合いのなかで、ゲンズブールは、無伴奏で国歌を斉唱。ファンたちは合唱に加わり、パラシュート部隊は敬礼して聞き入ったとか。
また後日談もあります。ゲンズブールは1981年に、世界に2枚しか残っていないルージェ・ド・リールの「ラ・マルセイエーズ」の手書きの原稿の1枚をヴェルサイユの競売場で135,000フラン(約20,580ユーロ)で落札したのです。その原稿には、ルージェ・ド・リール自身が、書き写しの手間を省くためにAux armes et caeteraと書いていたのでした。
この曲は、1979年の同名のアルバムに収録されています。全曲でレゲエを取り入れた内容のアルバムで、レコーディングもレゲエの本場であるジャマイカで行われ、ジャマイカ人ミュージシャンがバックを務めましたので、アルバムの邦題は「フライ・トゥ・ジャマイカ」とされています。バック・コーラスはLes I-Threes (The I Threes) という3人の女声のグループです。このブログでは、この曲の邦題を原題の直訳「武器を取れエトセテラ」とし、既存の邦題「祖国の子供たちへ」を副題とします。
Aux armes et caetera 武器を取れエトセテラ(祖国の子供たちへ)
Serge Gainsbourg セルジュ・ゲンズブール
(1番前半)
Allons enfant de la patrie
Le jour de gloire est arrivé
Contre nous de la tyrannie
L'étendard sanglant est levé
いざ行かん 祖国の子らよ
栄光の日は来たれり
われらに向かい 暴君の
血まみれの旗の掲げられし
Aux armes et caetera(×4)
武器を取れ エトセテラ
(1番後半)
Entendez-vous dans les campagnes
Mugir ces féroces soldats
Ils viennent jusque dans nos bras
Egorger nos fils nos compagnes
なんじ聞かんや 戦野に
残忍なる兵どもの咆哮するを
奴らはわれらの元に来たりて
われらの子ら妻らの喉を切る!
Aux armes et caetera(×4)
武器を取れ エトセテラ

(6番前半)
Amour sacré de la patrie
Conduis soutiens nos bras vengeurs
Liberté liberté chérie
Combats avec tes défenseurs
祖国への聖き愛よ
われらの復讐のかいなを導き支えたまえ
自由よ、いとしき自由よ
なんじを護る者らとともに戦いたまえ!
Aux armes et caetera(×4)
武器を取れ エトセテラ
(7番前半)
Nous entrerons dans la carrière 注
Quand nos aînés n'y seront plus
Nous y trouverons leur poussière
Et la trace de leurs vertus
われらいくさの舞台に上がらん
先人なきあと
われらそこに見い出さん 彼らのむくろと
彼らの美徳の形見を
Aux armes et caetera...
武器を取れ エトセテラ…
[注]
entrer dans la carrière「(人生の)活動の舞台に入る」

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