
今回はセルジュ・ゲンズブールSerge Gainsbourg作詞・作曲の「愛なき愛L' anamour」です。創唱はフランソワーズ・アルディーFrançoise Hardyで、1968年のアルバム:Comment te dire adieuに収録されました。
原題のanamourは、amour 「愛」に「喪失」や「欠如」を意味する接頭辞a-が(母音・hの前でan-に変わって)付けられた造語で、「無愛」「非愛」といった変な日本語に該当するでしょう。「はかない愛」という邦題がありますが、「はかない」は、「不確かで存続が難しい」という意味合いの言葉で、ちょっと違います。パトリシア・カースPatricia Kaasの「はかない愛だとしてもIl me dit que je suis belle」の場合は、「想像上のはかない愛」ととらえることで妥協しましたが、こちらは変えたいです。「不毛な愛」じゃダサいし…、撞着語法ですが「愛なき愛」といたしましょう。
この歌詞を訳していて、プロペラ機がジェット機に替わる、真空管ラジオがトランジスタラジオに替わる、写真の感度規格がASAからISOに替わるといった時代的な移り変わりに関してたいへん勉強させられました。脚注をご覧ください。
セルジュ・ゲンズブールSerge Gainsbourg自身自身の歌は、1969年のアルバム:Jane Birkin - Serge Gainsbourgに収録。
ジェーン・バーキンJane Birkinも歌っています。1996年のアルバム:Versions Janeに収録。
L' anamour 愛なき愛
Françoise Hardy フランソワーズ・アルディー
Aucun Boeing sur mon transit 注1
Aucun bateau sous mon transat 注2
Je cherche en vain la porte exacte
Je cherche en vain le mot exit 注3
着陸した空港に航空機はない
私のデッキチェアの下には船はない
正しい扉を虚しくも探す
「出口」という言葉を虚しくも探す

Je chante pour les transistors 注4
Ce récit de l’étrange histoire
De tes anamours transitoires
De Belle au Bois Dormant qui dort 注5
私はトランジスタラジオのために歌う
眠る「眠れる森の美女」への
あなたのかりそめの愛なき愛の
奇妙な物語のこのくだりを

Je t’aime et je crains
De m’égarer
Et je sème des grains 注6
De pavot sur les pavés
De l’anamour
私はあなたを愛し
道に迷うことを恐れる
そして播く
ケシの種を
愛なき愛の石畳の上に
Tu sais ces photos de l’Asie
Que j’ai prises à deux cents Asa 注7
Maintenant que tu n’es pas là
Leurs couleurs vives ont pâli
あなたはアジアのこれらの写真を知っているわね
私が200アーサーで撮った写真を
あなたがいない今
鮮やかだった色は褪せている
J’ai cru entendre les hélices 注8
D’un quadrimoteur mais hélas
C’est un ventilateur qui passe
Au ciel du poste de police
プロペラの音を聞いた気がした
四発エンジンの、でもああ
それは警察署の上空を通る
ジェット機のターボファン

Je t’aime et je crains
De m’égarer
Et je sème des grains
De pavot sur les pavés
De l’anamour(×2)
私はあなたを愛し
道に迷うことを恐れる
そして播く
ポピーの種を
愛なき愛の石畳の上に
[注]
1 ボーイング・カンパニーThe Boeing Companyは、アメリカの航空宇宙機器開発製造会社で、Boeing は同社の航空機の名称のみならず、航空機の代名詞でもある。transit「トランジット」航空機が給油・整備のために一時的に寄港・着陸することで、「乗り継ぎ、乗り換え」の意味でも用いられる。ここでは乗り換えるための航空機がないということであろう。
2 transat普通名詞としては「折り畳み式デッキチェア」。大型船のデッキにいて、乗り移るための船がないということであろう。
3 exitは英語で「出口」
4 transistor「トランジスタ」。ここでは「トランジスタラジオ」。それまで主に使われていた真空管の代わりに半導体素子のトランジスタを使ったラジオで、1950年ごろから量産が始まり、1950年代後半から1960年代にかけて普及。
5 Belle au bois dormant「眠れる森の美女」はペロー童話集Histoires ou contes du temps passéおよびグリム童話集Grimms märchenに収録されている童話。人名扱いで語頭を大文字表記し、その「眠れる森の美女」が眠っているのである。
6 sèmer des grains「種を撒く」とは、森の中へ入って行く時に帰りの道しるべとして白い小石を落として行ったという、グリム童話Grimms Märchenの「ヘンデルとグレーテルHänsel und Gretel」の話を踏まえているようだ。土ではなく石畳の上に播くのだから、ケシは生えてこない。不毛な愛なのである。
7 ASA「エー・エス・エー感度、アーサー感度」フィルムの感度をあらわす古い規格で、1966年より現在のISOに替わった。感度設定の数字は同じ。200ASA=200ISO
8 hélice「プロペラ」。quadrimoteur エンジンを4基搭載する「四発機」。ventilateur「ベンチレーター」一般的には「換気扇、扇風機」のことだが、ここでは、ジェット機のターボファンエンジンなどの「ファン」。1958年にBoeing 707が路線就航し、プロペラ機がジェット機に替わって行った。画像はあえてプロペラ機を選んだ。
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前回の「16歳よさようなら(哀しみのソレアード)」に引き続き、今回もミレイユ・マチュウMireille Mathieuで、Quand on revientという曲をご紹介します。「帰って来る時」という意味のタイトルで、内容としては旅から飛行機で自分の国に自分の町に帰って来る時の感動を歌っており、「ふるさとに想う」という既存の邦題にはいささか齟齬を感じましたので、原題および歌詞内容により近づけて「帰国のとき」といたします。1967年。作詞:アンドレ・パスカルAndré Pascal 作曲:ポール・モーリアPaul Mauriat。
ミレイユ・マチュウMireille Mathieu
ナナ・ムスクーリNana Mouskouri
Quand on revient 帰国のとき
Mireille Mathieu ミレイユ・マチュウ
Quand on revient
Aussi beau qu´il soit 注1
Le pays d´où l´on revient 注2
Mon Dieu, qu´il fait bon chez soi 注3
Quand on revient
On voudrait chanter
Le cœur ne sait plus très bien
S´il doit rire ou bien pleurer
帰国のとき
訪れた国が
どんなに美しくても
ああ、自分の国がどれほどいいか
帰国のとき
ひとは歌いたくなる
心はもうよく分からない
笑わなきゃならないか泣かなきゃならないかが
L´avion va se poser
Et malgré mes valises
Gonflées de souvenirs
J´ai le cœur qui se brise
En bas, je vois serrés
Autour de ses églises
La France où je suis née
飛行機は着陸する
そして私のスーツケースが
思い出でいっぱいでも
私の心は張り裂ける
足下に、緻密に見える
教会の周りに
私が生まれたフランスが

Quand on revient
Aussi bleu qu´il soit
Le ciel bleu d´où l´on revient
Il fait toujours beau chez soi
帰国のとき
訪れた国の空が
どんなに青くても
自分の国ではいつも晴天だ
J´ai dans mon passeport
Des buildings et des plages
Les hôtels et les ports
Tapissent mes bagages
Mais parmi tous ces noms
Se détache une image
Mon vieux pont d´Avignon 注4
私のパスポートには
いくつもの建物や浜辺があり
いくつものホテルや港が
私の荷物を織りなす
でも、これらすべての名前のなかで
一つのイメージが際立つ
私の古いアビニョン橋だ

Quand je reviens
Aussi grand qu´il soit
Le pays d´où je reviens
Mon Dieu, qu´il fait bon chez moi
Qu´il fait bon revoir enfin le pays
Où m´attendent mes parents, mes amis
C´est le plus joli pays
Quand je reviens
私が帰国するとき
訪れた国が
どんなに立派でも
ああ、 自分の国がどれほどいいか
両親や友人たちが私を待つ
国をやっと再び見ることがどれほどいいか
それは最も美しい国だわ
私が帰国するとき
[注]
1 Aussi...que+sub.「いかに…であろうとも」
2 le pays d´où l´on revient直訳すると「(ひとが)そこから戻って来る国」だが、「旅していた国、訪れた国」ということである。
3 chez soi 「自分の家」に限らず「自分が属する社会、自分の国」
4 pont d´Avignon「アヴィニョン橋」は正式名Pont St. Bénézet「サン・ベネゼ橋」でヴォクリューズ県Vaucluse の県庁所在地アヴィニョン Avignonにあるローヌ川Rhône にかかる橋で、童謡「アヴィニョンの橋の上でSur le pont d'Avignon」で知られ、ユネスコ世界遺産のひとつとなっている。
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(「哀しみのソレアード」の原曲は14世紀のイタリアの曲「ソレアードSoleado」であると書いておりましたが、コメントをいただき調べ直し、加筆訂正いたします。)「哀しみのソレアード」のメロディーは1972年にイタリアのチロ・ダンミッコCiro Dammiccoが作った曲:Le rose bluに基づいています。1974年にダンミッコはダリオ・バルダン・ベンボDario Baldan BemboとともにこれをSoleadoというインストゥルメンタル曲にアレンジし、ダンミッコの所属するダニエル・センタクルス・アンサンブルDaniel Sentacruz Ensembleが演奏し大ヒット曲となりました。そのLe rose bluの原曲は14世紀のイタリアのアントニオ・ザッカーラ・テラーモAntonio Zaccara da Teramoが作曲したという記述が数多く見られますが確証は見出せません。ZaccaraはZacarとも表記されますので、ダンミッコが用いるザカールZacarというペンネームはそれに倣ったものかとも思われますが。
Soleadoはその後、各国で新たな歌詞で歌われるようになりました。英語では「子供が生まれる時When A Child is Born」というキリスト降誕を祝うクリスマスソングとなり、ジョニー・マティスJohnny Mathisやサラ・ブライトマン Sarah Brightmanなどが歌いました。
そしてフランス語では、ミレイユ・マチュウMireille MathieuがOn ne vit pas sans se dire adieuというタイトルで歌い、1975年にシングル・リリースされました。「ひとは別れの言葉を交わさずに生きることはない」つまりは「生きていく以上、別れはつきものだ」という意味のタイトルで、16歳の女の子が、恋人と別れさせられた、恋人に別れを告げられたという受け身な事態を乗り越え、人生行路をさらに進むための過程として自ら恋人に別れを告げるという精神的な成長を表わす歌詞内容です。
「哀しみのソレアード」という邦題で呼ばれていますが、Soleadoとは「日当たりのいい」という意味のスペイン語で、それに「哀しみの」という、日が陰るような修飾語が付いています。過去の辛さや哀しみと決別して「日の当たる」場所へ向かうということでしょうか。マチュウの原題の直訳は邦題にしにくいので、歌詞内容から「16歳よさようなら」という新たな邦題を作り、「哀しみのソレアード」を副題にいたしましょう。イソップ寓話の「北風と太陽」は、北風と太陽の力比べですが、旅人側の選択としては、北風に耐えて自分をガードするのではなく、太陽の当たるところに身を置いて重いコートを脱ぐことを選ぶということになるかなと。
チロ・ダンミッコCiro Dammiccoの「青いバラLe rose blu」
ダニエル・センタクルス・アンサンブルDaniel Sentacruz Ensembleの「哀しみのソレアードSoleado」
ミレイユ・マチュウMireille Mathieu
On ne vit pas sans se dire adieu 16歳よさようなら(哀しみのソレアード)
Mireille Mathieu ミレイユ・マチュウ
On ne vit pas sans se dire adieu
On ne vit pas sans mourir un peu
Sans abandonner pour aller plus loin
Sur son chemin quelque chose ou quelqu'un
ひとは別れの言葉を交わさずに生きることはない
ひとは身を削るような思いもせずに生きることはない
人生行路をさらに進むためには何かを誰かを諦めずには
Je suis venu pour te dire adieu 注1
Un souvenir, meurt toujours un peu
J'ai voulu savoir, ce qu'il m'a resté
Du seul amour, qui ait pu compté
私はあなたに別れを告げるために来たの
ひとつの思い出は、常に少しずつ褪せるもの
貴重だったかもしれない唯一の愛の名残として
私に残ったものを、私は知りたかったの

Je suis venu pour te dire adieu
Ou si tu veux, adieu à nous deux
Comme le jour, où tu m'as fait pleuré
En me disant adieu à jamais
私はあなたに別れを告げるために来たの
あるいは、あなたが望むなら、私たち共々への別れを
私に永遠の別れを告げて
あなたが私を泣かせた日のように
{Partie parlée : }
Oh ce n'était pas ta faute, je le sais
Je sais tout ce qu'il allait se passer, allez 注2
Ton père et tout ce qu'il a pu te dire
Tes études à finir, ton service, ton avenir
Et puis cette fille n'est pas pour toi
Aujourd'hui tu es une autre 注3
Tout est qui finit bien, quand 注4
Mais qu'est-ce que j'ai pu t'aimer toi 注5
J'avais seize ans, seize ans seize ans
[語り]
ああ、それはあなたのせいじゃなかった、それは分かっているわ
起ころうとしていたことはすべて分かっている、そうよ
あなたのお父さんとあなたにおっしゃっただろうことをすべて
「終わらせなきゃならないお前の学業、お前の兵役、お前の将来
だから、この女の子はお前には向かない
今や、お前は別者だ
終わりよければすべてよしだ」と、なら
いったい、あなたをどう愛せたというの、あなたを
私は16歳だったのよ、16歳よ16歳よ

On ne vit pas sans se dire adieu
On ne vit pas sans mourir un peu
J'ai voulu arrêter le temps
Le temps de dire, adieu mes seize ans
ひとは別れの言葉を交わさずに生きることはない
ひとは身を削るような思いもせずに生きることはない
私は時間を止めたかった
「さようなら私の16歳」と言うための時間を
J'ai voulu dire, adieu mes seize ans
Avant d'aller, vers ce qui m'attend
言いたかったの、「さようなら私の16歳」と
私を待っているものへと向かう前に
[注]
1 venir+inf.「(…しに)来る」を、目的を強調するため、venir+pour+inf.としている。
2 allez間投詞「さあ、ほら、まったく」
3 主語のtuは男性なのにune autre が女性形なのは、女性名詞のpersonneが省略されている。
4 Tout est (bien) qui finit bien慣用句で「終わりよければすべてよし」
5 qu'est-ce que「どのように、どれだけ」
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前回は、ミュージカル「ノートルダム・ド・パリNotre-Dame de Paris」の冒頭でピエール・グランゴワールPierre Gringoire役が歌う「カテドラルの時代Le temps des ⅽathédrales」でしたが、今回は同じくピエール・グランゴワールPierre Gringoire役が歌う「月Lune」です。醜いせむし男カジモドQuasimodoが美しいジプシー女エスメラルダEsmeraldaに対して抱く狂おしくまた虚しい恋情を見守ってやってくれと、詩人は月に語りかけます。この歌詞で思い浮かんだのは「嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」という西行法師の歌。西行には月を詠んで恋心を表した歌が多く、想いを寄せる待賢門院璋子の面影を月に見立てたものだと言われます。ともあれ古今東西、苦しい片想いと月とは縁の深いもののようです。ミュージカルでは三日月が選ばれていましたが、ノートルダム大聖堂の後方に満月が浮かぶ写真も見つかりました。カジモドを見守ってくれる月はどちらがふさわしいでしょうね?
Lune 月
Lune
Qui là-haut s'allume
Sur
Les toits de Paris
Vois
Comme un homme
Peut souffrir d'amour
パリの屋根々々の
上に
高みに輝く
月よ
見てくれ
いかに男が
恋に苦しみ得るか

Bel
Astre solitaire
Qui meurt
Quand revient le jour
Entends
Monter vers toi
La chant de la terre
Entends le cri
D'un homme qui a mal
Pour qui
Un million d'étoiles
Ne valent
Pas les yeux de celle
Qu'il aime
D'un amour mortel
日がまた昇る時に
死す
美しき
孤高の星よ
聞いてくれ
大地の歌が
ぬしにむかって湧き上がるのを
苦しむ男の
叫びを聞いてくれ
やつにとっては
死ぬほどまでに
愛する
くだんの女の瞳には
千の星も
値しない

Lune
Qui là-haut s'embrume
Avant
Que le jour ne vienne
Entends
Rugir le cœur
De la bête humaine
C'est la complainte
De Quasimodo
Qui pleure
Sa détresse folle
Sa voix
Par monts et par vaux
S'envole
Pour arriver jusqu'à toi
Lune
Veille
Sur ce monde étrange
Qui mêle
Sa vois au chœur des anges
高みに霞む
月よ
日が昇る
前に
聞いてくれ
獣人の
心が咆えるのを
それはカジモドの
呻き声だ
耐えきれない苦悩を
嘆いている
やつの声は
ぬしのところまで届かんと
山を谷を
越えて翔び行く
月よ
見守ってくれ
やつの声を天使のコーラスに
混ぜ合わせる
この不思議な世界を

Lune
Qui là-haut s'allume
Pour
Eclairer ma plume 注
Vois
Comme un homme
Peut souffrir d'amour
D'amour
私のペンを
照らすために
高みに輝く
月よ
見てくれ
いかに男が
恋に苦しみ得るか
恋に
[注]「月明かり」と「ペン」というのは、フランスの古い童謡「月明かりでAu clair de la lune」を踏まえていると理解される。「褐色の髪の女性La dame brune」の記事の後半にその歌詞を示した。
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