
先日、ジルベール・ベコー Gilber Becaudの「旅芸人のバラードBallade des baladins」を取り上げた際に、同じ旅芸人を歌った曲として、以前訳したシャルル・アズナヴールCharles Aznavourの「コメディアンLes comédiens」と、エディット・ピアフÉdith Piafの「旅芸人の道Le chemin des forains」を挙げました。アズナヴールには、旅芸人、役者を題材にした曲がもう一つあります。一般的には「大根役者」の邦題で知られる1967年の曲:Le cabotinです。これを今回取り上げましょう。作詞:アズナヴール自身、作曲:ジョルジュ・ガルヴァランツGeorges Garvarentz。1968年のオランピア・コンサートのライブ・アルバム:Face au publicに収録されています。
仏和辞典によると、cabotinは古くは「旅役者、どさ回り」の意味、現今は「(名優気取り)の大根役者」あるいは「芝居がかった人、気取り屋」の意味だとのこと。
「大根役者」とはなんぞや、というと、演技力のない役者、芸のまずい役者を指す日本独特の名称で、江戸時代に歌舞伎で舞台上の俳優に対するヤジや悪態として使われるようになったのが始まりとされます。また、その語源については諸説あります。まず、大根が「白い」ことから、「しろうと(素人)」みたいだ。下手な役者ほど「おしろい(白粉)」を塗りたくる。場が「白ける」。大根の形が脚に似ていることから、「馬の脚」だけを演じる端役の役者だ。大根はどのように食べても腹を壊さないことから、「当たらない」。「大根おろし」から、「すぐ下ろされる」。役者の付き人や予備の役者を「ダイコウ」と呼んだのが訛った。…など。
それに対しcabotinは、「うぬぼれ、気取り」の面を重視した名称のようで、実力はあるつもりなのに売れない、大舞台に立てない、いい役どころがもらえない役者であり、「大根役者」という訳語とはズレがあるようです。
この曲の歌詞は、自身を奮い立たせて舞台に立つ役者が、俺はcabotinだと居直って語る内容であり、もっぱら芸のまずさをこきおろす「大根役者」という訳語は違うんじゃないかと、何日も悩みに悩みました。そして、「大根役者」の同義語とされる「三文役者」「緞帳役者」「田舎役者」のほうが、売れない、認められないという面を含んでいるので、そのなかでもっともポピュラーな「三文役者」を選ぶことにいたしました。
1968年
1986年
Le cabotin 三文役者
Charles Aznavour シャルル・アズナヴール
Je suis un cabotin dans toute sa splendeur 注1
Je suis né pour jouer
Donnez-moi un tréteau minable et sans chaleur
Je vais me surpasser 注2
Je suis un cabotin dans toute sa splendeur
Mais j'ai ça dans le sang 注3
Donnez-moi quatre planches et quelques spectateurs 注4
Et j'aurai du talent
Du talent
俺はまさしく三文役者
演じるために生まれて来たんだ
俺にチャチくてダサい舞台をおくれ
やってやろうじゃないか
俺はまさしく三文役者
けどそれは生まれつきなのさ
俺にちょっとした高座とわずかな観客をおくれ
俺は見事にこなすよ
見事にね
Dans une pièce de trois murs
À ventre ouvert sur le public
Tout comme au bord d'un gouffre obscur
Avec mon trac avec mes tics 注5
Je viens donner la comédie
Vibrant d'un feu qui brûle en moi
Je parle je pleure et je ris
Et vis mon rôle chaque foi
正面が観客に向けて開かれた
三つの壁に囲まれた場所に
暗い奈落の渕に立たされたように
ビクビクしヒクヒクしながら
芝居をやるために来たのさ
うちなる炎を奮い立たせながら
俺は語り、泣き、笑い
その都度、自分の役柄を生きる

Ne me condamnez pas sans comprendre mon cœur
Je suis d'une autre race
Je suis un cabotin dans toute sa splendeur
La scène est mon espace
俺の気持ちを知りもしないでこき下ろさないでくれ
俺は違った血統なんだ
俺はまさしく三文役者
ステージこそが俺の居場所さ
Ma vie commence alors
Que je vois le décor
Que j'entends les trois coups
Et je suis malgré moi
Pris de peur et de joie
Quand le rideau se lève
Là mon cœur bat si fort
Que je frôle la mort
Et que j'en oublie tout
Mais au moment exact
Je fais le premier pas
Pour entrer dans mon rêve mon rêve
舞台セットを目にし
ドラを三回聞けば
俺の人生が始まる
そして俺は心ならずも
恐怖と狂喜に襲われる
幕が開くと
鼓動が高鳴り
死にそうになり
そしてすべてを忘れる
だがまさにその時
俺は踏み出すんだ
夢の世界に夢の世界に入るための一歩を

Je suis un cabotin dans toute sa splendeur
J'ai choisi mon destin
Donnez-moi dix répliques et quelques projecteurs
Vous verrez mes moyens 注6
俺はまさしく三文役者
自分で選んだ運命さ
十の台詞を与えてくれ、照明を向けてくれ
そうすりゃ俺の才能が分かると言うものさ
Je suis un cabotin dans toute sa splendeur
Et c'est toute ma vie
Donnez-moi un théâtre un rôle à ma hauteur
Et j'aurai du génie
Du génie
俺はまさしく三文役者
一生ずっとさ
俺に劇場を俺に見合った役どころをくれ
俺は天分を発揮するよ
天分をね

Sous un maquillage savant
Ou le visage à découvert 注7
Emphatique ou discrètement
Je dis la prose ou bien le vers
Avec tendresse avec fureur
Selon la pièce et puis l'emploi
Je souffre je vis ou je meurs
Et mens jusqu'à ce que j'y croie 注8
巧妙なメイクを施した顔で
あるいはスッピンのままで
誇張したり控え目にしたりして
優しさや熱意を込めて
俺は台詞や詩を語る
作品にそして役どころに応じて
俺は苦悩し、生き、死に
そして自身がそれを信じるほどウソをつく
Soit dit sans vanité je connais ma valeur
Et si pour vous peut-être
Je suis un cabotin dans toute sa splendeur
Je reste fier de l'être
自慢じゃないが俺は自分の価値を分かっているさ
あんた方から見りゃおそらくそうだろうが
俺はまさしく三文役者
俺はそのことに誇りを持っているのさ
[注]
1 dans toute sa splendeur 「素晴らしさを十分に見せて、(皮肉で)明々白々に」
2 se surpasser「実力以上の力を出す、悪乗りする。」
3 anoir qc. dans le sang「生来…の素質がある」
4 quatre「4つの、4番目の」が本義だが「わずかな、いくつかの」の意味も。
5 tracは「あがること、おじけ」でticは「痙攣、チック症」だが、擬態語で訳した。
6 moyen本義は「方法、手段」だが、複数形で「素質、才能」あるいは「資力、富」の意味。
7 le visage à découvertは、à visage découvert「素顔のままで、あからさまに」に準じて解釈。
8 jusqu'à ce que+sub.「…するまで」
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今回は、セルジュ・ゲンズブールSerge Gainsbourgの「ブラック・トロンボーンBlack trombone」という曲です。1962年のアルバム:Serge Gainsbourg N°4に収録されています。この曲は、歌詞・メロディーともにあきらかにナナ・ムスクーリNana Mouskouriの「ソナタSonata」 (1961年)をもじっていると私は確信するのですが、そのデータは見つかりません。
トロンボーンとは何ぞや?と、ウィキペディア等で調べてみました。tromboneは、トランペットを意味するイタリア語trombaに「大きい」を意味する接尾語-one を付けた「大きなトランペット」という意味の名称で、非常に古い歴史を持つ金管楽器です。中世期に十字軍の戦利品として直管の楽器がヨーロッパに伝えられ、その後、保持上の都合から次第に管が曲げられ、15世紀には自然倍音以外の音を出すために、管の長さを自由に変化できるスライド・トランペットが考案されました。このスライド・トランペットがトロンボーンの前身で、「引く・押す」の意味でサクブットsaquebouteと呼ばれました。16世紀から18世紀に至るまで、サクブットはもっぱら教会で使用されました。スライド・システムにより微妙な音程の変化にも対応して声楽の旋律に合わせることができ、カソリックのミサにおける聖歌の合唱等の伴奏、オラトリオやレクイエムなどに重用されたのです。もともと人間の声に最も近い音質の楽器だといわれますが、アルト、テノール、バスなど、音域の異なるものが作られて、合唱の各声域をユニゾンで伴奏しました。18世紀には、より大きく力強い音が得られるようにベルの大きさが徐々に拡大されました。教会音楽への適合性、生み出されるハーモニーの美しさから「神の楽器」と言われるまでに発展しましたが、世俗の音楽での使用は自重され。初めて交響曲に使用されたのは、ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調Op.67「運命」第4楽章でした。
「ソナタSonata」との関連にこだわる私、トロンボーンが用いられたソナタを探してみましたら、ありました!
ヴィヴァルディAntonio Vivaldi:トロンボーン・ソナタ 第1番 変ロ長調Sonata No.1 en si bemolle(楽器はトロンボーンとピアノ)
アルビノーニTommaso Albinoni:ソナタヘ長調Sonata en fa majeur(楽器はバストロンボーン・ピアノ)、トリオ・ソナタTrio Sonata(トロンボーン三重奏)
ヒンデミットPaul Hindemith:トロンボーン・ソナタ Sonate pour trombone en fa majeur(楽器はトロンボーンとピアノ)
などです。
automne(秋)とfredonne(震える)の2語が「ソナタSonata」と共通します。ゲンズブールは、その押韻の延長で tromboneの語を思いついたのでしょうか、執拗なまでに-neの押韻を連ねる歌詞です。タイトルは英語交じりで、トロンボーンはジャズを演奏します。中国の陰陽五行説で秋の色は「白」だということをゲンズブールが知っていて、その陰画の意味を込めて「黒いトランペット」とした、とまでは思えませんが、結果的にそうなったということでしょう。
Black trombone ブラック・トロンボーン
Serge Gainsbourg セルジュ・ゲンズブール
Black trombone
Monotone
Le trombone
C'est joli
Tourbillonne
Gramophone 注1
Et bâillonne
Mon ennui
モノトーンの
ブラック・トロンボーン
トロンボーン
それは美しい
トロンボーンは
渦巻き
クラシックを流す
そして黙らせる
僕の倦怠を

Black trombone
Monotone
Autochtone 注2
De la nuit 注3
Dieu pardonne 注4
La mignonne
Qui fredonne
Dans mon lit
モノトーンで
ネイティブな
ブラック・トロンボーン
夜もすがら
神よ許せ
僕のベッドで
娘が
震えている
Black trombone
Monotone
Elle se donne
À demi 注5
Nue, frissonne
Déraisonne
M'empoisonne
M'envahit
モノトーンな
ブラック・トロンボーン
彼女は身をささげる
ほとんど
裸で、震え
うわごとを言い
僕を毒し
僕を侵す

Black trombone
Monotone
C'est l'automne
De ma vie
Plus personne
Ne m'étonne
J'abandonne
C'est fini
モノトーンな
ブラック・トロンボーン
それは僕の人生の
秋だ
もう誰も
僕を動じさせはしない
僕は放棄する
もう終わったんだ
[注]
1 Gramophone蓄音機ドイツ・グラモフォンは円盤型レコードを発明したエミール・ベルリナーEmil Berlinerによって1898年12月6日に創設されたクラシック音楽のレコードレーベル。ここでは動詞化したgramophonerの三人称単数形。
2 autochtone「土着の、現住の」という本来の意味より押韻のために選んだ語であろう。
3 de la nuit「夜通し」
4 Dieu pardonne / La mignonne 「娘を許せと神に願う」というつながりだが、Dieu pardonneを単独に訳した。
5 à demi 「なかば、ほとんど」
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人道主義者の詩人ルイ・アマードLouis Amadeの詩に、ジルベール・ベコー Gilber Becaudが作曲した曲は、「僕の木Mon arbree」のページに挙げましたが、今回、「旅芸人のバラードBallade des baladins」を加えましょう。1953年の作品で、1958年の初のスタジオアルバム:Croquemitoufleに収録されています。
「旅芸人」をテーマにした曲は、シャルル・アズナヴールCharles Aznavourの「コメディアンLes comédiens」、そしてエディット・ピアフÉdith Piafの「旅芸人の道Le chemin des forains」を先に取り上げています。すべて日本語では「旅芸人」ですが、アズナヴールはcomédien、ピアフはforain、そして今回のベコーはbaladinです。balladeは日本語でも「バラード」で詩形式や曲形式のことですが、同じ発音のbaladeは、baladinと共通語源で「散歩」や「旅行」の意味。それをかけているのかなとも思います。旅芸人ですから「巡業」という意味合いで。
人々に夢をもたらしてくれる旅芸人、僕を浚って連れてってよ!
Ballade des baladins 旅芸人のバラード
Gilber Becaud ジルベール・ベコー
Les baladins qui serpentent les routes
Viennent de loin parmi les champs de blé
Les bonnes gens regardent et les écoutent
Et les étoiles leur parlent de danser
旅芸人たちが道をくねくね縫って
麦畑のなかを遠くからやって来る
善良な人々は彼らの姿を見、彼らの歌を聞く
そしてスターたちは人々に踊れと声をかける
Les vieux châteaux dressés du fond du Moyen Age
Semblent guider leurs pas légers comme un matin
Et parmi les donjons perchés dans les nuages
Des princesses leur font des signes avec les mains
中世の大昔に建てられた古城は
朝日のように軽やかな彼らの歩みをいざなうかのようだ
そして雲間に聳える塔のあいだから
姫たちが彼らに手で合図を送る

Mais les gars de vingt ans qui ressemblent à des dieux
Insouciants et joyeux parmi leurs rondes folles
Passent sous les donjons sans dire une parole
Ils ne regardent pas les bras tendus vers eux
だが神々にも似たはたちの若者たちは
狂った輪舞に取り巻かれてのんきに陽気に
無言のまま塔の下を通り過ぎ
差し伸べられた手に目もくれない
Danse donc, joli baladin
C'est la ballade, c'est la ballade
Danse donc, joli baladin
C'est la ballade d'Arlequin 注1
さぁ踊りなさい、うるわしい旅芸人
バラードだよ、バラードだよ
さぁ踊りなさい、うるわしい旅芸人
アルルカンのバラードだよ

Les baladins qui serpentent les routes
Qui sont-ils donc dans leur costume d'or ?
Des vagabonds ou des dieux en déroute ?
Ils n'ont que des chansons pour seul trésor
道をくねくね縫ってやって来る旅芸人たち
黄金の衣装に身を包んだ彼らはいったい何者なのか?
放浪者かそれとも堕した神々か?
彼らが持つ宝は歌だけだ
Quand ils n'auront plus soif, ayant bu à la brume
Ils danseront pieds nus sur des fils argentés
Que cinq mille araignées tisseront sous la lune
D'une branche de houx jusqu'aux sapins gelés
霧で喉を潤し、渇きがいやされたなら
彼らは裸足で踊るだろう
ヒイラギの枝から凍ったモミの枝まで
5千匹の蜘蛛が月下で紡ぎ渡した銀色の綱の上で

Ils sont accompagnés dans la ronde divine
Par les enfants des rois aux longs cheveux bouclés 注2
C'est un cortège bleu de mille mandolines
Où flottent un peu partout des voiles de mariée
神々しい輪舞のなか
長い巻き毛の王の子供たちが彼らについて来る
それは、あちらこちらにウェディング・ヴェールが翻る
千のマンドリンの青い行列だ
Danse donc, joli baladin
C'est la ballade, c'est la ballade
Danse donc, joli baladin
C'est la ballade de l'Arlequin
さぁ踊りなさい、うるわしい旅芸人
バラードだよ、バラードだよ
さぁ踊りなさい、うるわしい旅芸人
アルルカンのバラードだよ
C'est ainsi que l'on vit le plus grand mariage
De la fille du vent avec un arlequin
Mais tout cela n'était qu'un fragile mirage
Et je reste tout seul avec mes lendemains 注3
かくして、風の乙女とアルルカンの
盛大な婚儀を人々は目にした
だがすべてはかない幻影にすぎなかった
そして僕は途方に暮れてひとりぼっちで残された

Ohé les baladins
Vous partez ?...
Emmenez-moi
おーい、旅芸人たち
行ってしまうの?
僕を連れてってよ
[注]
1 arlequin 「アルルカン」イタリア喜劇の道化役。映画「道La strada」主題曲「ジェルソミーナGelsomina」http://chantefable2.blog.fc2.com/blog-entry-100.htmlにも出てくる。Charles AznavourのLes comédiensではharlequinとなっている。
2 enfants des rois「王の子供たち」や、次節のfille du vent 「風の乙女」が具体的に何を意味するかは不明だが、すべてが幻影にすぎなかったとあり、不明なまま語の訳にとどめる。
3 avec mes lendemains直訳すると「僕のこれからの日々とともに」となるが、それは来ることは分かっているが自分がどう過ごすか分からない日々であり、「途方に暮れて」と訳した。triste comme un lendemain de fête「(祭りの翌日のように)ひどく悲しい」という成句も想起される。そういえば、吉田拓郎が「祭りのあと」という歌で「祭りのあとの淋しさ」を歌っている。
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