
ジャック・ブレルJacques Brelの「子供の頃Mon enfance」を以前取り上げましたが、今回は似たタイトルのL'enfanceという曲です。こちらは自分が子供だった頃の追憶ではなく、enfance「子供時代」といういわば自身の原点としての大切な概念がテーマです。バルバラBarbaraと共演したFranz(1971年)に続き2作目で最後の監督作品: Le far west(1973年)のために自作した曲。映画のYouTube動画を下に貼り付けましたの興味があればご覧ください。カンヌ国際映画祭でパルム・ドールにノミネートされたそうですが、ちょっとハチャメチャだし日本語字幕もないし分かりにくいです。
ブレル演じる主人公のジャックJacquesがカウボーイ風のスタイルで「孤独への道J'arrive」を歌いながら野原を横切るシーンから映画は始まります。ジャックはデイヴィー・クロケットDavy Crockett風のいでたちのガブリエルGabrielほか何人かの人たちと順次出会って共に「遥かなる西部」を目指します。この曲の歌詞に、「父親が金鉱探しで、いくつか掘り当てた」と出てきますが、辿り着いた廃坑が目的地だったのでしょうか、彼らはそこで金を探し当てます。また、「ブルジョアはみんなインディアンだ」とありますが、インディアンの羽飾りの人物が何人も出てきます。そうした個々のことがらのみならず、彼らの子供時代は西部開拓時代で、その時代を生き直して、現代社会の価値観を捨ててユートピアに向かうんだということを、この分かりにくい映画の内容を補って伝えてくれます。
この年、ブレルはフランス領ポリネシアに移住しました。
映画:Le far westのフルスクリーン。タイトルにリノ・ヴァンチュラLino Venturaの名がありますが、共演というのではありません。同年ブレルが出演した別の映画:L'Emmerdeur(エドゥアール・モリナロÉdouard Molinaro監督)では共演しています。
L'enfance 子供時代
Jacques Brel ジャック・ブレル
L'enfance
Qui peut nous dire quand ça finit
Qui peut nous dire quand ça commence
C'est rien avec de l'imprudence
C'est tout ce qui n'est pas écrit
子供時代
それがいつ終わるのか、誰が僕たちに言えるか
それがいつ始まるのか、誰が僕たちに言えるか
軽率を以てしてはなんにもならない
書かれていないのはそれがすべてだ

L'enfance
Qui nous empêche de la vivre
De la revivre infiniment
De vivre à remonter le temps
De déchirer la fin du livre
子供時代
誰が僕たちがその時代を生きることを妨げるか
その時代を際限なく生き直すことを
時間を遡って生きることを
本の終わりを引きちぎることを
L'enfance
Qui se dépose sur nos rides
Pour faire de nous de vieux enfants
Nous revoilà jeunes amants
Le cœur est plein la tête est vide
L'enfance
L'enfance
子供時代
誰が寄る年波にわが身を託すものか
自分たちを年を重ねた子供たちにするかわりに
僕たちは再び若い恋人同士だ
心は満ちて、頭はからっぽ
子供時代
子供時代

L'enfance
C'est encore le droit de rêver
Et le droit de rêver encore
Mon père était un chercheur d'or
L'ennui c'est qu'il en a trouvé
子供時代
それはまた夢を見る権利であり
そして夢をまた見る権利なのだ
私の父は金鉱探しだった
問題は彼がそれをいくつか見つけたことだ
L'enfance
Il est midi tous les quart d'heure 注1
Il est jeudi tous les matins 注2
Les adultes sont déserteurs
Tous les bourgeois sont des Indiens
L'enfance
L'enfance
子供時代
15分毎の昼休み
毎朝の休日
大人たちは脱走兵
ブルジョアはみんなインディアンだ
子供時代
子供時代

[注]
1 quart d'heure「15分」=短い時間
2 jeudi「木曜日」昔の小学校は休みだった。
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エンリコ・マシアスEnrico Maciasの「恋心L'amour c'est pour rien」のページに書きましたが、マシアスは1938年にアルジェリアで生まれたユダヤ人歌手で、アルジェリア戦争の終わる前年に家族でアルジェリアを離れ、パリに移り住み、戦争終結後の1962年から活動を始めました。
今回ご紹介するのは1980年の「僕の子供の頃のフランスLa France de mon enfance」です。作詞:ディディエ・バルブリヴィアンDidier Barbelivien、作曲:エンリコ・マシアス。「わが心のフランス」という邦題もあるようですが直訳の邦題にいたしました。Franceに定冠詞のlaを付けているのは特別の意図が伺えますが、そのフランスとは彼が生まれ育った「フランス領アルジェリアAlgérie française」のことで、1830年から1962年までフランスの支配下にありました。第二次世界大戦中の1942年以降は反ヴィシー政権の拠点となり、シャルル・ド・ゴールを首班とするフランス共和国臨時政府も首都アルジェで結成されました。実際、「もうひとつのフランス」といってもいい場所だったのです。それが彼にとっての母国でした。1962年独立後のイスラム系社会主義国である「アルジェリア民主人民共和国République algérienne démocratique et populaire الجمهورية الجزائرية الديمقراطية الشعبية」、その名前は聞きなれない名nom étrangerだと今回の曲の歌詞にあります。「恋心L'amour c'est pour rien」は、フランスからのアルジェリア独立を喜ぶ「祖国への恋心」だとそのページに書きましたが、今回この曲を知り、それはちょっと違うんじゃないかと気づき訂正いたしました。
1980年に、当時国連事務総長だったクルト・ヴァルトハイムKurt Waldheimより「平和の歌手」という称号を贈られ、1985年には、レジョン・ドヌール勲章を受賞しました。そして1997年に、人々の間の平和と連帯などの普遍的な価値観への彼の愛着が評価され、国連事務総長のコフィ・アナンKofi Annanに、「平和と子どもたちの擁護を促進するための巡回大使」に任命されました。そんなマシアスのグローバルな視点は、カトリック教徒、ユダヤ人、イスラム教徒が共存する世界であった「子供の頃のフランス」で培われたものなのでしょう。
パトリック・ブリュエルPatrick Bruelもフランス領アルジェリア生まれ
La France de mon enfance 僕の子供の頃のフランス
Enrico Macias エンリコ・マシアス
La France de mon enfance
N'était pas en territoire de France
Perdue au soleil du côté d'Alger
C'est elle la France où je suis né
僕の子供の頃のフランスは
フランスの国土ではなかった
アルジェ辺りの太陽の下に紛れていた
それは僕が生まれたフランスだ
La France de mon enfance
Juste avant son rêve d'indépendance
Elle était fragile comme la liberté
La France, celle où je suis né
僕の子供の頃のフランス
その独立の夢の実現直前
彼女は自由のように脆弱だった
僕が生まれたところ、フランスは

Le soleil n'était pas celui de Marseille
Ma province n'était pas ta Provence 注1
Je savais déjà que rien n'était pareil
Et pourtant mon coeur était en France
太陽はマルセイユの太陽ではなかった
僕の田舎は君のプロヴァンスではなかった
僕はすでに何も同じじゃことを知っていた
だが僕の心はフランスにあった
La France de mon enfance
Mon pays ma terre ma préférence
Avait une frontière Méditerranée
C'est elle la France où je suis né
僕の子供の頃のフランス
僕の国、僕の土地、僕のお気に入りは
地中海という国境を持っていた
それは僕が生まれたフランスだ
La France de mon enfance
N'avait pas tous ces murs de silence
Elle vivait en paix sous les oliviers
La France, celle où je suis né
僕の子供の頃のフランスは
こうした沈黙の隔壁をまったく持たなかった
オリーブの木の下で平和に暮らしていたんだ
僕が生まれたところ、フランスは

On avait l'accent d'une région lointaine
On était perdu comme en Lorraine 注2
A l'école, on apprenait la différence
Mais c'était la même histoire de France
僕たちには僻地の訛りがあった
僕たちはロレーヌにいるかのように迷子になった
学校で、僕たちは違いを学んだ
だが、それはフランスの同じお話だった
La France de mon enfance
Par amour, par désobéissance
Son prénom était un nom étranger
C'est elle la France où je suis né
僕の子供の頃のフランス
愛ゆえに、不従順ゆえに
彼女の名前は聞きなれない名となった
それは僕が生まれたフランスだ
La France de mon enfance
Moi je pleure encore de son absence
Elle était française, on l'a oublié 注3
La France, celle où je suis né
子供の頃のフランス
僕は彼女の不在をいまだに嘆く
彼女はフランス人だった、ひとはそれを忘れた
僕が生まれたところ、フランスは

[注]
1 province「州、地方」とProvence「プロヴァンス」は語呂合わせ。後者は南フランスの南東部を占める地方。前行のMarseille「マルセイユ」はその最大の港湾都市。
2 Lorraine「ロレーヌ」はドイツとフランスの間の十字路にあたり,長年両国の係争地となった。第2次世界大戦中(1940~44年)は全域がドイツの占領下にあった。
3 Elle était française「彼女はフランス人だった」。elle「彼女」すなわちla France「フランス」を擬人化してfrançaise「フランス人女性」だったと表現している。
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以前取り上げたレオ・フェレLéo Ferréの「潜水夫の歌La chanson du scaphandrier」lは不思議な内容の歌詞で、潜水夫に、彼女の目のなかに心のなかに脳のなかに潜らせ、そこに何があるのか問います。何が見つかったんでしたっけ?イヴ・モンタンYves Montandの「君の瞳Les mirettes」は、潜水夫ではなく自分自身で彼女の目のなかに飛び込みます。そしてそこに見出したのは大きな愛でした。1959年。作詞:ロジェ・ヴァルナイRoger Varnay、作曲:マルク・エイラルMarc Heyral(ロシア名:Marius Herschkovitch)。
81年のオランピアでは、若干歌詞を変えて歌っています。
Les mirettes 君の瞳
Yves Montand イヴ・モンタン
Qu'est-ce que t'as dans les mirettes, mais qu'est-ce que t'as ?
Un sacré petit bal musette et ses javas
Dans le bleu de tes mirettes viennent valser
Des petits gars en rouflaquettes et leurs pépées 注1
君の目のなかには何があるの、いったい、何があるの?
小さなダンスホールとそのジャヴァ
君の目の青みのなかにワルツを踊りに来る
巻き毛の男の子たちとその彼女たちが
On s'est connu, souviens-toi, souviens-toi, du côté de Nogent 注2
Dans un petit bal, un petit bal pas si mal, qui sentait bon le printemps
Moi au fond de tes mirettes, j'ai fait le plongeon
Et me suis cogné la tête sur un tas de chansonnettes
Et un air d'accordéon
ノジャンの近くで知り合ったね、思い出して、思い出して、
小さなホールで、春のいい香りのする悪くない小さなホールで
僕はね、飛び込んだんだ、君の目の奥に
そこで僕は鉢合わせしたよ、たくさんの歌と
アコーディアンの調べと

Je t'enferme dans mes bras et dans les miens
Tu ronronnes comme un petit chat et ne pense à rien
T'as du rire au fond des yeux et ça brille même quand il pleut
Quand je te regarde, je me dis chaque fois
C'est là qu'est mon soleil à moi
僕は君を腕のなかにしっかりと抱きしめ、そのなかで
君は小さな猫のように喉を鳴らし、何も考えない
君は目の奥に笑いを秘め、雨が降ってもそれは輝いている
僕は君を見るとき、いつも心で思う
僕の太陽がそこにあると
Qu'est-ce que t'as dans les mirettes, mais qu'est-ce que t'as ?
Un sacré petit bal musette et ses javas
Dans le bleu de tes mirettes viennent valser
Des petits gars en rouflaquettes et leurs pépées
君の目のなかには何があるの、いったい、何があるの?
小さなミュゼットのダンスホールとそのジャヴァ
君の目の青みのなかにワルツを踊りに来る
巻き毛の男の子たちとその彼女たちが

Pourtant au fond de tes yeux, de tes yeux, y'a un grand amour
Mais dans ce bleu, tout ce bleu
Y'a que nous deux, pour le voir au grand jour
だけど、君の目の、君の目の奥には、大きな愛がある
でも、その青みには、その青みそのものの中には
白日の下に見れば、僕たち二人しかいない
Depuis que dans tes mirettes, j'ai fait le plongeon
J'ai au cœur des chansonnettes et du bonheur plein la tête
Sur un air d'accordéon, ce qu'il y a dans tes mirettes
Qui me fait tourner la tête, c'est l'amour.
君の目に、僕が飛び込んで以来
僕は心に歌があり、頭は幸せに満ちる
アコーディアンの調べに乗ってね、君の目にあるもの
僕をぼうっとさせるもの、それは愛だ。

[注]
1 rouflaquette「(愛嬌毛となる)こめかみの巻き毛」あるいは「短い頬髭」だが前者を選んだ。pépéeは「お人形さん」だが、ここでは「(かわいい)娘」の意味。
2 Nogent「ノジャン」という地名はフランス国内に17もあるが、パリ南東のコミューン、ノジャン=シュル=セーヌ Nogent-sur-Seineのノジャンだろうかと思われる。現在、「ノジャン原子力発電所」がある。
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今回は、ジョゼフィン・ベーカーJosephine Bakerの「パリよ、再びMe revoilà Paris」です。作詞・作曲:アンドレ・レヴェルAndre Revel 。1975年3月24日より、パリのボビノ劇場Le théâtre Bobinoで芸能生活50周年を祝うショーを開催しました。この歌もそのステージの重要なナンバーのひとつでした。そして4月9日、その14回目のステージを終えて帰宅後に脳溢血で倒れ、12日に亡くなりました。「ステージの上で人生を終えるわ」と歌っていますが、歌手人生の総決算ともいえる大舞台で歌いきったあとの大往生なわけですからステージで亡くなったのと同じでしょう。
彼女に関しては「二つの愛J'ai deux amours」のページに解説していますので参照ください。
45分にわたって彼女の曲を紹介している動画
Me revoilà, Paris パリよ、再び
Josephine Baker ジョゼフィン・ベーカー
Me revoilà, Paris
Ça fait longtemps qu'on ne s'est vu
Me revoilà Paris
Dis-moi, comment me trouves-tu?
Peut-être viellie
Mais il n'est pas dit
Encore que moi je flanche
Et peut-être, qui sait?
Je finirai
Ma vie sur les planches
私また来たわ、パリ
久しぶりにお会いしたわね
私また来たわ、パリ
ねぇ、私はどのように見える?
たぶん老けたと
でも、まだ言われないわ
弱っているとはね
そしてたぶん、誰知ろう?
私は終えるわ
ステージの上で人生を

Rappelle-toi, Paris
Quand j'ai chanté "J'ai deux amours"
J'avais fait le pari
Que cela durerait toujours
Tu sais, je n'oublie pas
Que c'est grâce à toi
Si je joue les vedettes
Et si j'ai vu mon nom
Sur les néons
De chaque nation
思い出して、パリ
「二つの愛」を歌ったとき
私は賭けた
それが永遠に続くだろうと
あなたは分かっている、私が忘れないって
私が主役を演じたら
そして、いろんな国の
ネオンサインに
私の名前を見たとしたら
それはあなたのおかげだと

Tu sais, je n'oublie pas
Que c'est grâce à toi
Si je joue les vedettes
Et si j'ai vu mon nom
Sur les néons
De chaque nation
分かっているでしょ、私が忘れないって
私が主役を演じたら
そして、いろんな国の
ネオンサインに
私の名前を見たとしたら
それはあなたのおかげだと
Me revoilà, Paris
Avec mes musiques et mes danses
Me revoilà, Paris
私また来たわ、パリ
音楽とダンスをたずさえて
私また来たわ、パリ

Merci encore de cette chance
Tu le vois, je reviens toujours
Chercher près de toi le grand amour
Me revoilà, Paris
Supporte-moi
Encore une fois
Me revoilà, Paris
Comme c'est parti
Ça, c'est pour la vie
この機会をありがとう
あなたにはそれが見える、私はいつも戻って来るわ
あなたのそばに大きな愛を探しに
私また来たわ、パリ
私の力になって
もう一度
私また来たわ、パリ
もう始まったんだから
これはね、生涯続くわ
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