
ジルベール・ベコーGilbert Becaudの「そして今はEt maintenant」(1961年、作詞ピエール・ドラノエPierre Delanoë、作曲ジルベール・ベコー)は、早鐘を打つ心臓の音を思わせるボレロのリズムに乗って、失恋時のどうしようもない心境を歌う曲です。彼がブリジット・バルドーBrigitte Bardotと別れた時に書かれたといわれます。その後に恋仲になったセルジュ・ゲンズブールは「バルドーを手に入れるのが人生最大の夢だった」と言ったそうですが、BBは男を惑わす美女だったようです。
のちに、グロリア・ラッソGloria Lasso、イザベル・オーブレIsabelle Aubret 、イザベル・ブーレイIsabelle Boulayなど、多くの歌手がカヴァーしています。ベコー自身、What now, my love?というタイトルで英語でも歌っていますが、英語圏でも、フランク・シナトラFrank Sinatra、エルビス・プレスリーElvis Aron Presley、アンディ・ウィリアムスHoward Andrew "Andy" Williamsほか多くの歌手が歌っています。日本語でもよく歌われています。
まずは、ジルベール・ベコーとブリジット・バルドーのラブラブの映像をご覧ください。
Et maintenant
What now, my love?
以前、「パリParis」をご紹介したエロディー・フレジェElodie Frégé
Et maintenant そして今は
Gilbert Becaud ジルベール・ベコー
Et maintenant que vais je faire
De tout ce temps que sera ma vie
De tous ces gens qui m'indiffèrent
Maintenant que tu es partie
そして今 僕はなにをすりゃいいんだ
人生のすべての時間
僕にはどうでもいい人々に対し
君が去ってしまった今

Toutes ces nuits, pour quoi pour qui
Et ce matin qui revient pour rien
Ce cœur qui bat pour qui pour quoi
Qui bat trop fort trop fort
夜が相変わらず訪れるのは、なんのため誰のためなのか
そして朝はなんの意味もなくまたやってくる
誰のためなんのために脈打つんだ
あまりにも強く あまりにも強く打つこの心臓は
Et maintenant que vais je faire
Vers quel néant glissera ma vie
Tu m'as laissé la terre entière
Mais la terre sans toi c'est petit
そして今 僕はなにをすりゃいいんだ
いかなる虚無に向かって僕の人生は滑り落ちて行くのか
君は僕に大地をまるごと残して行った
だが君のいない大地なんてちっぽけなものだ

Vous, mes amis, soyez gentils
Vous savez bien que l'on y peut rien
Même Paris crève d'ennui
Toutes ces rues me tuent
君たち、僕の友人たちよ、気遣ってくれないか
君たちは先刻承知のはずだ 手の打ちようがないってことを
パリの街さえも倦怠で死に瀕していて
どの通りだって僕を殺しかねない
Et maintenant que vais je faire
Je vais en rire pour ne plus pleurer
Je vais bruler des nuits entières 注1
Et au matin je te hairai
そして今 なにをすりゃいいんだ
これ以上泣かないためにこのザマを笑うことにするさ
夜はすべて発散燃焼させることにするさ
そうすりゃ朝には君を憎むようになる

Et puis un soir dans mon miroir
Je verrai bien la fin du chemin
Pas une fleur et pas de pleurs
Au moment de l'adieu 注2
そしてある晩 鏡のなかに
終点がちゃんと見えることだろう
花もなく 涙もないさ
さよならの時には
Je n'ai vraiment plus rien à faire
Je n'ai vraiment plus rien…
僕は本当にもうなにもすることはない
僕は本当にもうなにも…
[注]
1 燃やして無くしてしまうという捉え方もあるが、前行の「笑う」という表現の延長で、心に反したことを敢えておこなって状況を変えようとする、すなわち、お祭り騒ぎをしたり、別の女性たちと楽しんだりする意味だと解釈した。
2 au moment de l'adieu「さよならの時」とは、彼女のことを忘れ去った時で、その時には、fleur「花」すなわちロマンティックな気持ちや、pleurs「涙」も消える、と解釈した。この曲と同年に作られたセルジュ・ゲンズブールSerge Gainsbourgの「プレヴェールのシャンソン(枯れ葉に寄せて)La chanson de Prévert」とも相通じる歌詞内容だ。
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鏡の中に終点が見える、というイメージはジャン・コクトーの黒いオルフェの鏡の精の世界えお連想させる。最もコクトーは日本の能を観て、鏡の中に別世界があり、能役者はその世界の自分と入れ替わって舞台に上がる、からヒントを得たらしいが。さらに最後の後奏の高まりはベルリオーズの幻想交響曲第四楽章『断頭台への行進』を連想させる。ベコーがこの二人の映画、シンフォニーを聞いていて参考にしたかは定かではないが。
金谷 守晶
2019.06.01 15:12 | 編集

そのほうが自然かもしれませんね。私は、「プレヴェールのシャンソン(枯れ葉に寄せて)La chanson de Prévert」を意識し過ぎたようです。
朝倉ノニー
2017.05.24 06:39 | 編集

Au moment de l'adieu の adieu は、この世の永遠の別れ、「死」を意味すると解釈することも出来ると思います。つまり、死を迎えた時には、花も無く、自分に涙する人もいない、というように解釈すると、鏡の中に、自分の末路を見る、というところにも、符合しているように思えます。
江副文臣
2017.05.23 10:12 | 編集
